2007/12/09

2008年のモバイルマーケティング

実は、2007年のモバイルマーケティングというタイトルで書くつもりだったが、他の人が上手にまとめてくれるはずなので、止める事にした。
面白くないし・・・。

で、2008年にしてみた。

幾つかキーワードがあるけど、波乗りペンギン的な言い方で煙に巻いてみる。

・奢れる者は久しからず
 類似:人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり(武田信玄)

・金の卵を生む鶏はいない
 類似:モバイルマーケティングに近道なし

・利口者ほど馬鹿になる
 類似:策士、策に溺れる

適当に意味づけてね。

さて、フルデジタル化まで3年となる2008年は、思惑が入り乱れる混沌したステージになる。
結局、今日の売上、自分の都合、という近視眼的な人達は淘汰されるだろう。
もちろん、その中でイキナリ主役に抜擢される人も出てくる。

2008年に抜擢される人でも、成果主義の反動的な人事が行われたら注目だと考えている。
客観的に検証できると思われるデータ至上主義は、数値化されない部分を切り捨てているという自明の理を浮き彫りにするので、その自明の理を評価する人事が企業の競争力を数倍以上強化するはずだ。
なにしろ、切り捨てていた部分にこそ「右脳=感情」というモバイルマーケティングのヒミツが詰まっているのだ。金で買えないシロモノだけに価値は高い。

一つ、論理的に構成されたデータオリエンテッドなサイトが成功し続けた例はあるか?

2007/11/13

やって良い事と出来る事は別だ

物事を判断する立場にある人は、
技術的に可能であっても、法制度上可能であっても、
やって良い事と悪いこと、つまり倫理観を誰よりも大事にして欲しい。


業務だろうが何だろうが、
人として考えるべきだし、出来ないんなら判断しちゃいけない。
判断するなら、その責任を負うべきだろう。
また、それすら認識できない奴に権限を与えてはいけない。


広告が広告であるためには、
広く遍(あまね)く生活者へ伝える意義がなければダメだ。
悪い物なんて言語道断だし、無意味な広告も削ぎ落とすべきだ。



中堅がいなくなるほど短期間で辞める会社とか、
正社員より契約社員や派遣社員が多い雇用責任を果たしていない会社の企業とか、
休職したままで退職する社員が毎年何人も出る会社とか、どんだけ非人道的なんだか。
それで出した経常利益の額を見比べる株主や投資家も、同罪だろう。
最近、不祥事で倒れる会社の社内事情は、似たものがあると思う。


広告費は打出の小槌でないことを知るべき頃なのだが、
茹で上がるまで気が付かないんだろうね・・・尻尾のあるカエルさん。

2007/11/12

広告の主要業績評価指標

頭文字をとって、KPIといわれる奴だ。
メディアビジネス、広告ビジネスでは、あまり役に立たない指標の一つでもある。

何故か?
理由は簡単だ。

連続的な業績評価が可能な製造業と違って、
四半期ごとに劇的な変化を見せるからだ。
もちろん、季節要因で・・・だ。

しかも、ネットやモバイルは一年もあれば市場環境は激変している。
昨年対比も意味がない。

単純に、セル・スルー・レートが一番。

2007/11/09

次世代型広告会社

考えるだけなら無害かと思い、ADKインタラクティブCOOの横山氏にインスパイアされてみる。

まず、現状の広告代理モデルに頼らないのは必須だろう。
どの広告会社も目指している方こうである。
パートナーシップモデルである。


既に欧米では定着しているのだが、日本では、まだ、広告媒体の販売が主体だ。
インターネット広告でもモバイル広告でも、やはり変わらない。


とはいえ、既存のマスメディアを取り扱う広告会社と戦っても、
ネットバブルに乗って成長したベンチャーと体力勝負しても、
無意味だ。


どちらにしても、発注する広告主にもメリットはない。


確かに知見が豊富な営業をエキスパート化する発想はあるが、
この育成はeラーニングを使っても短期養成は不可能だ。

経験を積むには時間が必要だ。
全メディアを制覇して、業務に必要な部署を一通り回るのに、
最短でも6年は掛かる。

逆に、それだけ経験を積めば一生使える人材になる。
今ですら、マーケとCRを経験している人は少ない。
MBAは多いけどね。


大手クラスだと、部門の固定化も多いというか
ジョブローテーションがないケースもあるので、
もともと無理な話だろう。


といって中小では経験自体が積めないケースが圧倒的だ。
100万円と10億円の予算の差は、担当する人間の経験からすると、
動く金額よりも人脈や情報の点で比較にならない。


ということで、全体を統括する役割を担える人材育成は困難を極める。

2007/11/06

ブランド論の前に

砂上の楼閣とはブランドのことではないだろうか。
誰もが夢見ていながら、決して作り得ない。
たぶん、完成はないのだろう。
時世の波に洗い流される運命と思う。

相対的に良いポジションという見方はあるのかもしれないが、
絶対値はないと確信してる。

一応、ブランド開発プログラムを作らされたものの、
そんな簡単に出来るんだったら、誰も苦労しないのだ。
とはいえ、広告だけでブランドが創れるという話を耳にする機会が多い。

声を大にして言いたいが、
ホラ吹いてるんじゃねぇ~
広告は魔法の道具じゃない。

少しは本を読め。

2007/11/02

アイデアを温めて、腐らせる・・・

ずーっと温めているモバイルならではの特性を活かしたビジネス。
思い付いたのは5年も前。
しかし、普通に話したのでは、普通に却下される。
余りにも突飛過ぎて、しかも、広告に精通していないと、
意味が分からないだろう。
残念なことに、その一部は実際却下されている。

しかし、それも全体の構想からすれば枝葉でしかない。
現時点では不可能なモノが要素としてあるが、
皮肉なことに解決される見通しが行政から出されている。

たぶん、誰もが分かっていながら諦めていることで、
それを具体的にどうするのか、描けないだけのことだ。
さしあたり、コロンブスの卵、と言ったところだろうか。

マーケティングで、今も解決で来ていないのは、
何処で外したのか、そのプロセスが評価できないことだ。
企画なのか、開発なのか、販売なのか、営業なのか・・・。
今は、どこかが悪くてもソコソコ売れることにあって、
どこかが致命的にマズイと売れないことがあって、
どこかがオンリーワンだと売れてしまうことがある。

2007/10/24

下期は講演、講義の時期

縁があって、11/16(金) 18時~
仙台で講演。
ネット広告業界、モバイル広告業界をツンツクする内容。
ツンツクで抑えるつもりだが、リミッターを外されちゃったので 、














煽られたらアクセル踏むぞ
法定速度内でな。


某大学院での講義も、11/29(木) 19:00講座を開始。
ゲスト講師は、まだ、秘密。
今年は、
昨年の生徒さんに大好評だった、モバイルCMS実技を更にパワーアップ。
こっちは、波乗りペンギンの脳内リミッターが外れているとはいえ、ちゃんとした大学なので、可能な限り安定走行に努める、









つもり・・・。
あくまでも、つもり。

2007/10/23

広告のない未来

ちょっと発想を転換してみる為に、企画発想手法の一つを使ってみる。
広告のない未来があるとしたら、どんな未来なのか。
邦訳されたSFにもあるので、それとは違った角度で考えなくちゃいけないのだが、意外と難しい・・・。

難しいという理由は
・広告って何?
という基本的なところで設定が出来ない。

いきなり定義も出来ないので、具体的に考えてみる。

・テレビのタイム(提供)は広告。
・新聞や雑誌だと、PRとか広告とか記載してあると広告。

うっ、詰まった。

・テレビのスポットは、どうやったら広告と識別できるのか。
・新聞や雑誌だと、全面などページ単位の場合は、どう広告と識別するのか。

さらに、

・番組タイアップ、協力、商品提供は広告なのか。
・記事体広告、編集タイアップ、情報提供、プレゼント情報は広告なのか。


この辺りになるとプロでも境界線は一定ではないはずだ。
媒体、広告会社、行政、司法、消費者、視聴者で見解は全く異なるはずだ。

とすると、誰の視点を持って、どう整理すればいいのだろうか。
消費者視点であると、厳しいことは予想されるが、果たして広告ではない事が重要なのかどうか、怪しい気もする。

いかん、袋小路に入った。
振り出しに戻して、主観的に設定するしかない。

※法律に詳しい人は、薬事法とか健康増進法にある広告の定義や省令による解釈、判例を持ち出すのだろうが、その議論は法廷で。

話を進めよう。
商品のラベルに事実以外の記載は出来ないし、メディアに商品名を出すこともダメで、店頭に並べるだけか、サービスならば問い合わせや来店がない限り顧客に接触してはいけない、としよう。
掲示板や口コミも、当然出来ない。する場合は、記名が原則で本人確認がされなければならない。
その発言は中央政府が管理し、言語および行動解析によって矛盾が発見された場合は、銀行口座などが凍結され財産が没収され公民権が停止される。(POSデータ、決済ID、接続ID、電子チケットやGPSの移動記録などデータは既にある)
プライバシーはない。
アンケートやテスト販売も禁止。(広告キャンペーンの紹介になるから)

さてと、どうやって消費者は商品やサービスを知る方法があるのか。
現在でもあるものを発展させて考えてみる。

国民生活センターで比較、分析したデータを参考にする。
自分で使って判断する。
なんらかの機関が認定した商品やサービスから選ぶ。
安い物を買う。
高い物を買う。
ほどほどの物を買う。
上場企業の商品を買う。
・・・。

想像力が足りないようなので、再考する。

2007/10/19

ブーメラン効果

大した話では無いんだけど、
数年前にアイデアベースで話していたものが、
気が付くと実現されて、
戻ってくる事がある。

もちろん、その最初に波乗りペンギンが後ろにいたことは、誰も知らない。
なので、知らないフリをして、当初の計画段階で埋もれたアイデアを出すと、凄いビックリされる事がある。この瞬間がたまらない快感。

今聞いた話でアイデアを出せるなんて、本当は在り得ないのだけど、もともと絡んでた話だっていうことが言えないだけに、ちょっと申し訳ないところもある。
どうでも良いことだけど・・・。

2007/10/17

広告に頼らなくていい第4の柱

酒も飲まず早く帰って何してるですか・・・と、初めて訊かれた。
別に秘密にしてないが、こうしてブログ書いたり記事を読んで自分のサイトに貯め込んで、アーでもないコーでもないと夢想している。
テーマはここ数年変わっていない。
4番目の収益源を探しているだけ。

ちなみに、現在のネットビジネスの収入源は、過去何度も書いているように大別して3種類しかない。
1.広告
2.通販
3.課金
である。

そう、次が無いのだ。
既に十年経つが、次へのヒントも無いのだ。
うはははははは。
見つかったら、広告は要らない・・・たぶん。

広告が不正行為として法的に禁止されたら

ネット系のメディアというか事業は壊滅だろう。
もちろん、収入の道を絶たれたCGMとかSNSも無くなる。
広告会社も壊滅。
広告主も非合法化される。
そして、国営以外は、成り立たなくなるという世界が待っている。

そうなると、波乗りペンギンも失業だな・・・。

2007/10/04

凹む

広告が迷惑になっていく昨今。
自分も迷惑なっているんだなぁ・・・と凹む日々。

空しい。

2007/09/16

広告会社の人事評価

やってみたいことの一つが、広告界者ならではの人事評価だ。
残念ながら、運用が難しいので実現されていない。

基本原則は至って簡単である。
1.評価に値する実績がない場合は現状維持。
2.直属の上司が評価した場合は、一段階アップ。
3.他部署の評価が高い場合は、二段階アップ。
これだけである。

理由もシンプルになる。
評価者は神ではない。全てを知ることは出来ない。
ならば、加点法で考えるのが基本。(疑わしきは罰せず)
当然、他者からの評価は高くするべき。
ましてや、他部署となれば業務報告以外の功績がある。
汲み取るべし。

以上である。

ところが、経営的には人件費が掛かる。
降格しないからだ。
でも、それは嘘。
採用の時に見誤っていたからに過ぎない。
その責任を負いたくないから、降格するだけの話だ。
人を見る眼がないのを責任転嫁しているのだ。

人を活かすのは、マネジメントの基本中の基本。
それが出来ないからって、放り出すのは無責任であろう。
それこそ、高い給料と社内権限を有する資格がないわけだ。

広告は人材が競争力の源である。
人財ともいわれる。

そこを真剣に考える経営者、役職者がいらっしゃれば、波乗りペンギンとしても粉骨砕身でお手伝いしたいと思う。

2007/09/13

金の卵を生むかどうか

雌鶏と卵があってこそ。
どっちが先かという話は、ドーデモ良いと思う。

ただ、
媒体があって、広告が成立するのは史実です。
モバイル広告も例外なく。

2007/09/04

広告マンに求められるスキル

オチを知っている気がする・・・。

ということは、余計な事を書かずに読むのが良さそうだ。
大人なんでね。

2007/08/31

モバイルマーケティング

モバイルマーケティング>モバイル広告
という理解はされているのか最近不安。

日本語は難しいから。

2007/08/21

広告の品格

詰まる所広告予算が潤沢にある会社に、みんな土下座してしまう世界である。
裏返すと、金の切れ目が縁の切れ目になる。


だからこそ、情に厚い会社が求められる。
広告の鬼が生きていた時代も、今も、そこは変わっていない。

2007/08/18

全力少年

スキマスイッチのヒットソングだが、この業界で生きていく応援歌みたいなものだと、歌詞を読んで思った次第。
JASRACの許可を貰っていないので、そのものを書くわけには行かないけど、歌詞を見る方法はいくつかあるので気になった人は読んでもらいたい。

広告業界でも会社組織でも、生き残るセオリーみたいな幻想があるが、実際はない。
今に満足して肯定してしまえば保守的になり革新を恐れてしまう。伸び悩む大企業ベンチャーを見るがいい。
かといって、ルールを破り常識を逸脱すれば生活者からオミットされてしまう。消えたサイトや逮捕者の出たベンチャーもどきの詐欺師を見るがいい。

では、グレーな部分を狙うのかと言われれば、それは全く違う。
新しい解釈、予想できない展開、発見を提供すべきなのだ。
常に新しい視点をチャネルに合わせて、発信しなければならない。

なにしろ、シングルソース・マルチユースが成功した事例を、
波乗りペンギンは知らないから。

2007/08/15

ペルセウス座流星群

8月13日の深夜がピークとは知らずに、視界の片隅を鮮やかに横切った流れ星に気が付いて、妙に感動した。(小泉前総理風)

視覚的には、一秒足らずの光りの軌跡にしか過ぎない。
動かず光り続けていれば、夜空の星々と何の違いも知覚できない。
しかし、光が尾を引いて夜空を横切っていくだけで、ナンデ感動するんだろうか。

さて、インターネット広告のバナー型に置き換えて考えてみよう。
リンク先のページには流星群のような広告が沢山あるが、感動した記憶がないほど御無沙汰である。
大きくてもフラッシュでも音が出ても、鬱陶しいだけだ。

何か大事な事を知らずに、広告を垂れ流している人間が多い気がするのだが・・・。
気のせいか?

2007/08/07

プロモーションの中にある

営業も広告も同じ範疇だろうという話は良くあって、販売促進が中間的な存在として持ち出されることが多い。違いがあるのか、あるとするとボーダーラインはどこだという事になる。
コレは広告の定義がないと線は引けないし、誰も引きたがらないだろう。(笑)

波乗りペンギンは単純に線を引いている。
売れた結果が金になれば営業、つまるとこ販売。
その横で呼び込みをしているのが販売促進。
その商品またはサービスの元売がカネを出して盛り上げているのが広告。

この基準だと問題なのが、
成功報酬は全て販売になること。
プロモーションであっても広告じゃないと言える。
しかし、売れない営業は広告になるという、屁理屈が成り立つのも問題だったりして・・・。

2007/08/05

小脳仮説とスーパークリエイター

広告業界ではヒットを量産しているクリエイターが、極一握り存在している。
このブログでも別の言い方で取り上げてきたが、アカウント・プランナーという職種だ。

彼らの秘儀を学ぼうとする試みもたくさんあるが、成功した例は聞いていない。

そんな中で、一つの記事に引っ掛かった。
直感思考を研究するというものだ。

あるものを学習したり、考えると、大脳に観念や概念、思考のモデルが形成される。これが小脳に内部モデルとしてコピーされ、別の問題に対しても、小脳がモデルを使って考え続けるようになる。ところが小脳の思考は本人には意識されないため、直感思考としてあらわれる──というのが小脳仮説の骨子だ。

これが本当であれば、説明が付くことが多い。
短期的なセミナーや著書を読んだだけでは、スーパークリエイターの思考は学べない。
恐らく、広告業務以外の思考体験がモデル化されている場合、演習や実務を通じて得られるのは直感思考というブラックボックスを通過した結果だけだろう。

転じて、企業文化とも言われる思考様式や行動を身に付けるのも同様ではないだろうか。
小脳研究の世界的権威である伊藤正男氏をググると、「生命誌」27号(JT生命誌研究館)の記事が読めるので引用すると

小脳の学習では、考えていた結果にならなかった時に、間違っていたという誤差信号を送るのです。練習を繰り返すたびに、誤差信号が入ると、間違えたときに働いている回路が抑えられ、うまくいった時の回路だけが残る。
とあるので、先輩にビシビシと間違いを直され、身体で覚えさせられた思考様式は職人的な世界だけでなく、通常の企業運営の中でも大事なのだろう。
しかし、ベンチャー企業においては創立精神の継承と最適化の間で、思考様式そのものを変化させていくために、何が間違いだったかという抑制をする存在が要になりそうだ。

2007/08/02

調べては考え、打ち込んでは消去する

議事録は要約するだけなので、なんの創造力もいらない。
業務知識さえあれば、波乗りペンギンだって出来る。

しかし、物事の方向を決める書類作成は、昼間居眠りするほど追い込まれる。
シングルタスクなので、考えが纏まるまで夜も睡眠も関係なくなるからだ。

昼間バッチリ複数の案件をこなして熟睡できる人は敵だ!(笑)

2007/07/18

問題なのはインターネット視聴率じゃない

2007年6月からインターネット視聴率の測定法が変わった。
正しくは、考え方をインターネット視聴率調査会社が変えたのだ。
しょうがない、ビジネスだもんね。

でも、機械で測れるものには限界がある。

2007/07/16

naminoripenguin in セカンドライフ


本格的に始めて3日目。

これは楽しい!

リアルで踊ったら病院送り間違いなしだが、ここならメタボな波乗りペンギンでもOKだ。

で、その一コマを・・・。

2007/07/11

広告は直球

ネットワーク化が進み、人の意思疎通がデジタル化され、実はいろんな経験則が正しいと思われる今日この頃。皆は、インターネットに格言は無用だと考えるだろうか。

雄弁は銀、沈黙は金(カネじゃないよ、カネじゃ・・・)。
語るに落ちる。

言いたい事だけ言うとなると、広告は最もストレートだ。
とにかくチカラ押しで剛球を無理やり放り込む。
もちろん、この手の広告は嫌われることが多い。
表現としては、連呼型といわれる。
あの、商品名やコピーを何回も何回も押し出すタイプ。

一方、最も高度なのは「言わずとも知れる」事。
問い合わせがあれば広報が答えるけど、必要以上に言わない。
こっちは、打たせて捕るので、守備が大事。
大体は信用一番のイメージ型になる。
良く分かんないブランド広告がそう。

両方をうまく使おうとしたら、非常に鍛錬が必要だ。
宣伝部と広報部は分けなければならない。
しかも、広報には潤沢な予算と人員が必要だ。
ほとんどの企業が間違うのはココだ。
広告に予算と人員を割いても、広告で売るのは名前だけである。
実際に商品やサービスを売るのは営業だから、営業が売りやすい環境を作るのが大事ではないだろうか。

これ以上は、黙して語らず、と。

2007/07/08

文は人なり、広告コピーは魅力なり

文章は研ぎ澄まされると、人を現してくる。
だから、小説家など文章力のある一節は盗用してもばれる。
もし、社内で独特の文体や表現など、流用しにくい人物がいたら要チェックだ。

文章力がない人でも工夫次第でオリジナリティは作れる。
コラージュのような組み合わせの妙味だ。
しかし、一歩間違うと矛盾だらけで、加筆した程度の内容のない文章になるぞ。

広告においては顕著だ。
文字面だけ真似ても、相手には伝わらないし気にされない。
だから、てにをは一字を変えていくという不毛なSEOになる。
広告コピーは、本質を掴み取り、
消化しやすい解釈をして、
魅力的な言葉を編み出す
職人技が必要だ。

広告表現には一部の隙もあってはならない。

2007/07/03

看板を外して広告を語れるか

かなり勇気がいるはずだ。
社名や役職を外せば、言葉の殆どが空しく響くだけだろう。


同様に、

広告賞を取るような作品を褒めるのは容易い。
だが、そうでなければ、良し悪しなど判断できる自身がある人は、少ないのではないか。



数多くの作品を見ても、批評を暗記しても無駄だ。
言葉には魂がある。
借り物であれば力はない。


改めて思うこの頃。

2007/06/22

合意形成

何かと時間と成果に追われて、信頼の醸成など無視されて久しいが、権利と義務がセットであるように、権限と責任も一緒だ。
責任を負ってこその権限であって、権限が与えられるのは責任を負うからである。
だからといって、何をして良いというものでもない。

社会の合意形成は大事である。

社内だけを見て合意形成しても広告は成り立たないので、アドバタイザーやコンシューマー、メディアを視野に入れておくのは必須だ。
どうも、ステークスホルダーという経済的な視点だけで語るベンチャーかぶれの業界もどきも少なくないが、生業とするハズの広告とは皆のバランスの上でしか成り立たないことを知らないようだ。

ま、だから何が必要かって事は、オフラインで進行中・・・と。

2007/06/20

インターネット広告業界も狭し

2年に一度、定期異動の様に転職するネット広告業界であるが、10年以上も棲んでいると再会も珍しい事ではない。
中には、二度と会う事がないと思った人も多いと思うが、5人も辿れば大統領にすら繋がるのだ。
メインプレーヤーは多いわけじゃない。
網は張られているのだ。WWWだ。

さて、久々の再開は、名刺交換から始まるわけだが、みんな立派になっている。
大きな会社にいたり、起業したり、企業グループに発展したりと、重責を担っている。

でも、どこか寂しげである。


話し込むと分かることだが、言えないことが増えてしまったのだ。
立場もペーペーじゃないから、挨拶代わりにバカな話も出来ないし軽口もたたけない。
こっちは、全然構わないんだけど。(笑)

それと、分からないことを分からないと言えない立場でもある。
辛い・・・けど、役回りとして知った振りして進めることになる。
で、迷走しちゃう。

その果てに、波乗りペンギンがパックリ口を開けて待っていたりする。
いらっしゃ~い。♪

常識に囚われないという事は、社会ルールを無視して良いという事じゃない。
誰かを犠牲にした事業は、必ず報いを受けるもの。
生活者は企業が思う以上に繊細で賢い。
事を起こす前に、話せば見えてくることもあるって。

2007/06/17

目的を知り、ターゲットを知る

広告で難しいのは、基本に忠実なことだ。
広告戦略で定められる目的、この目的の意味を知ること。
これをアドバタイザー(旧呼称:広告主)の指示するままに鵜呑みにすれば、正しい解決策は生まれない。
また、ターゲット(訴求対象)を知らなければ、目的を達するための正しい戦術は実施されない。

どんな業務でも同じはずだ。

前年対比130%の売り上げ増は目的になるのか?
それが目的なら、広告はやめるべき手段のはずだ。
広告だけで売上は増えないし、増やしてはいけないからだ。
製品・サービスの生まれた背景や目的が、生活者の役に立ってこその売上であるはずだからだ。
でなければ、売るために生まれた商品など、売れないこと自体がおかしいではないか。
広告など不要のはずだ。

市場の拡大や成長も同じだ。
プレーヤーの成長なくしては、膨張し足場も骨組みもないバブルとして弾けるしかない。

足場や骨組みは、企業文化であり哲学だ。
一朝一夕で作られるものではない。
不正を働き、人の心を失い、自分しか考えられない個人や組織は、必ず報いが下るはずだ。

社内であれば、
部下の力量も考えず、業務を丸投げしてないか。
権利ばかり主張して、義務を忌避してないか。
人の為と言いながら、私腹を肥やしてないか。

取引先とであるならば、
取引先の業容を考えて、発注しているか。
書類や会議を優先して、決断を避けてはいないか。
生活者を言い訳の主語にしていないか。

何のために働き、誰のお陰で生きていけるのか、見誤っていないか。

2007/06/13

平社員のメリット

何千万円もサラリーを貰っている人には、10%は大きいかもしれない。
マネジメントから現場に落とされたら、やっていけないかもしれない。
しかし、薄給の平社員なら、恐れることはない。


相手がスーパーサラリーマンだろうと社長だろうと、思っている事はぶつけてみるべきだ。出来ないことをコミットメントさせられるくらいなら、そんな役割や目標を拒否って、感じた事をブチまけてしまえ。

想いが本当なら、紙に書いてあろうとなかろうと、ちゃんと受け止めてくれるはずだ。
逃げ出すための口実じゃなければ、アドバイスが貰えるだろう。
足りないところを指摘してくれるし、欠けてるところを補ってくれる。
(もっとも、普段から夢を語り合える環境にあれば、必要ないことであるが、悲しいかな現実は残酷だ。)

波乗りペンギンが何かするときは、
①思いを確認する
②引き際を確認する
というベタベタな関係者の意識合わせ(パーセプション)に時間を掛ける。

必要なら一年でも二年でも。

少なくとも周りは皆プロだ。
「やるぞ!」と決まれば仕事は速い。
この気持ちを熟成させないままスタートすると、グダグダになる。
責任回避や負担軽減という自己保身に走るからだ。
これを避けるには、
「これ以上は無理っ!」という限界ラインを、お互い知るしかない。
大体、無茶を言い出すのは、相手に対する優しさが欠如しているか、自分しか見えない状態になったときが多い。
だから、お互い追い詰められた時、逃げ出すのか諦めるのか、知っておくに越したことはない。
偉くなってからでは確認しにくいし・・・ね。

2007/06/12

情報共有指数、iSI

係数を導くには研究が必要なので、経験的な仮の係数を基に話を進めたい。

さて、広告も含めて、情報を他者と共有することの難しさを、プロの皆さんなら痛感しているはずだ。
何故なのか、「氷山の一角理論」とか「アノニマス・マーケティング」とか、適当に作っていたのだが、どうにも明快な切り口が見つからなくて波乗りペンギンも困っている。

今回も仮説だが、情報の共有は常に一部分だと考えてみる。
取締役会でもチーム会でも構わないが、仮に5人いたとしよう。
原則的に一対一の場合は、およそ50%が情報共有できる。半分は誤解という勝手な受け手の解釈だ。
これに、参加者の人数が影響を与えると考えてみる。
共有できた情報=(情報10)×{K(0.5)÷共有者数(発言者を除く、5-1)}
こんな式でいいだろうか。
5人の会議だと、1.25しか情報共有できない(伝わらない)ことになる。

どうだろう。
一時間やろうが、100回話そうが、常に一割程度。

これを話すだけでなく、資料を作成したり議事録を読み返すことで、濃度を上げることも考えられるとすれば、良い線いってないだろうか・・・。

広告の場合も似たり寄ったりだろう。
一日に受け取る広告の数は、意識していないが、相当な数になるはずだ。
この中で残るものは、ほぼ無い。
恐らく、共感係数を掛ける必要があるだろう。
新聞は0.8、雑誌は0.6、テレビは0.4、ネットは0.2とか・・・。

上司の言うことはおろか、親の言う事だって聞かないわけだから、広告も想像できるのではないか?

2007/06/11

ポケットに手を突っ込むような広告

手の内が見えない、と解きます。
 その心は、自信がない。 迷ったら広告なんかするもんじゃない。
 自分が良いと思えないものなど、人が良いと思う方がおかしい。 
 その上で、自分は気に入らなくても、人が気に入るかもしれない事を見つけるのが、マーケティングの正しい使い方であり、それを伝える手法が広告ではないかと、思うわけだ。

 タイトルに持ってきた「ポケットに手を突っ込む」というのは、波乗りペンギンが先輩に注意された動作の一つ。
  広告代理店の人間は、「ポケットに手を入れて歩く」もんじゃない、まんまチンピラだ。 
 という、広告業界が水商売であって、真っ当な仕事とは思われてなかった時代の話だ。 
もちろん、そんな昔の話じゃないけど・・・。 
むろん、ポケットに手を突っ込むのは虚勢の現れだし、自信がないから手の内を見せられないという行動心理学でも説明できることだが、経験的に先輩から指導をされていたものだ。

2007/06/10

新しい媒体の作り方

誰もが挑戦して、誰もが失敗していく。
データだけでは作りきれないのが媒体である。

雑誌も廃刊、テレビ番組なら打ち切り、は後を絶たない。
こんなにIT革命で情報がふんだんに使えて、分析技術や機材も飛躍的な進化を遂げているのに・・・だ。

笑っちゃうね。

そこには意思があってコンセプトがあるのに、ブランド化される媒体は少ない。
広告に頼って、日和見て、無くなっていく媒体ばかり。
何か大事なものを忘れているんじゃないかと、思うことしきり。

人々が知りたいのはスキャンダルなのか?
情報力を自慢したいのか?
なぜ、情報発信をしたがる・・・。
犯罪に手を染めてまで、有名になりたいのか。

事実は捏造されていいのか、面白ければ嘘でもいいのか、儲かれば正義なのか?

そんな手合いに広告を載せる広告主も広告主なら、売る広告会社やメディアレップも同罪である。
コンバージョンの低さは何なのか、一度考えてみれば判るはずだろう。
既に、視聴読者の鉄槌が下っている事に、目を背けてどうするのだ。

そして、消去法で作られていく媒体は、広告主だけを向いているんじゃないかい。

2007/06/06

ベストは尽くしました

意味が分かった方は、これから起きることを大目に見て頂戴。
器用な方じゃないんだから。
と、開き直ってみる。

今月から、いろんな団体から何かが出ます。
出たら、探してみて下さい。

ほら、ココにも波乗りペンギン。
インターネット広告もモバイル広告も、マーケティングもソリューションも、制作もメディアも。

2007/05/22

盆と正月が一緒に来る

悪いことではないんだけど、作業に埋もれると思考停止になるのが問題。 質は低くなるし、ミスも多くなる。業績好調だと、人が疲弊しないってことはない。 殊に広告はサービス業なので、皆が忙しくて作業に追われると、必ずトラブルが起きる。 するとリカバリーに手間暇を取られて、さらにトラブルを呼び込む。 といって、人員を増やせば解決できるかというと、気が付いたときは後手後手になっていることが多い。しかも、ネットやモバイルは、アナログメディアと違ってハッキリ業務に現れる。 

 なぜか? 一つは、「層の厚さ」だと思う。 アナログメディアは50年以上の積み重ねで、職種に依らず広告業務を知っている人が多い。つまり、異動で調整できることが少なくない。 しかし、ネットやモバイルは特定の部署にいる人以外は、広告業務を知っている人が少ない。 ネット専業は致命的だ。同業他社からの中途採用以外に手はないのだ。 新人や異業種からの中途採用の場合、研修やOJTによって、現場がより疲弊するケースが後を立たない。現場がパタパタと倒れていく中、人員増強をしても事態は悪化しただけという経験を持っている人も多いはずだ。 

 もう一つは、「知識の深さ」だと思う。 いつも忙しいと、振り返って物事を整理したり、体系的に考える余裕がない。 情報を加工してストーリー化できなければ、物語は生まれない。 物語がなければ、語り伝えることがないわけで、業務マニュアルを渡すだけのことだ。 ならば、業務マニュアルを読めばいいのかというと、そうは問屋が卸さない。 書かれていることは結果であって、原因ではない。 操作手順であって、業務における意味はない。 なぜ確認を二人の人間が別々にするのか、部署を跨いで承認するのか、この作業がある意味を理解しなければ、マニュアルもゴミ同然だ。 アナログメディアは教育係として、ミッチリと教えてくれるだけの知識経験を持った年長者がいる。 ネットやモバイルにはいない。 5年もすれば管理職となり、現場を見ることは愚か、自分の首や会社の存続の為に時間を取られるからだ。

2007/05/01

経営効率を上げる方法

広告業界だけじゃないと思うので、波乗りペンギンが偉そうに書くのも如何なものかと思いつつ、やっぱり書いちゃうのを許されたい。

さて、タイトルは経営効率にしたが、業務効率でも何でも構わない。
要は、無駄が多い会社が「成果主義」の名の下に、効率的だと思われていることが腹立たしいのである。

価値創造を企業価値とするならば、効率は非効率になる可能性を考えたことはあるだろうか。
能力の高い(この定義すら問題だが・・・)社員だけを集めても、組織として強力で効率的になるとは限らない。いや、面倒だ、在り得ないと言い切ってしまおう。

離職率の高い会社、どんなにROIが高くても、あまり先は長くないはずだ。
理由は簡単だ。
離職率が高いというのは、根本的な問題が内在していると思われるからだ。
・ちゃんと採用機能が働いていない。つまり、社内の人材マネジメントが不全。
・研修や部署内での支援できる人間的な余裕がない。つまり、効率的過ぎる業務環境。非人間的。
・人事考課における形式的な評価、相互信頼のない上下関係と人望のない社員の蔓延。
・クリエイティブクラスの流出による暗黙知、企業文化の不在。
と、書き出せばキリがない。

定着率が高いといっても未来永劫、安心は出来ない。
どのみち、同じ事象が確認されるはずだ。
人間も馴れ合えば凶器(狂気)、大企業病の根源だ。

どちらも共通するのは形式的と惰性ではあるまいか。
書いてあることしか分からないとなれば、マネージャーは不要だ。
指示通りに動けばいいのなら、人間は不要だ。
効率を追求するだけなら経営者は不要だ。
そう、人間がやることはない。
優秀な経営指示ソフトウェアを開発して、スーパーコンピューターに任せればいいのだ。
今日、チェスや将棋でも、人間のトップレベルを凌駕する時代である。
※恐らく、プログラムを書いたことがある人なら、バカな話だと気が付くかもしれないが、世の中は怖い。 真に受ける人たちが沢山いるのだ。

作業も人がやるから指示は簡単であるが、ロボットに作業させたら指示は大変難しいことになることを知らないのである。
それこそプロセスをステップごとに解析する必要があるわけで、製造業ならロボットによる24時間オートメーションという大量生産で、コスト削減になるかもしれないが、サービス業はそうは行かない。
いや、製造工場ですら否定気味のところもあるほどだ。
商品の短命化による頻繁なモデルチェンジによる製造ラインの作り変え、BTOなどの対応では、人間の柔軟さが見直されているはずだ。

人を育てるのは手間暇は掛かるが、育てば阿吽の呼吸が生まれる。
一から説明をして、理解度を確認する必要がなくなるから、効率は高くなる。
これが部署外、社外へと広がれば、その効用は明らかだろう。
人材排出企業が強いわけを考えてみると良いだろう。

2007/04/10

広告が好きですか?それとも・・・

広告に関わっている人でも、広告が好きとは限らない。
仕方なく仕事としてやっている人も少なくない。

不幸なことであるが。

20年近く業界にいると、いろんな人を見ることになる。
華やかに見えるから、
給料が良いから、
モテるから、
etc.

いや、どれも幻想というか誤解だって・・・。
まぁ、夢から覚めない人も多い。(苦笑)

本当に広告が好きな人って、変わった人が多い気がする。
昇進とか待遇に興味がなかったり、
クライアントの歓心やアワードを煙たがったり、
沢山の広告費を持っていようが上場企業だろうが切って捨てたり、
気分が乗らなかったり鬱陶しい担当だと適当に流したり、
ドーデモいいようなことに恐ろしく拘ったり、
無茶苦茶な事をやったりする。

え!?そんな人がいるのかって?
まだ、生きてますよ。しかも、現役。
彼らはエンターテナーで楽しい人たちだ。
しかも、柔軟で頑固。
広告の話をすれば止まらないし、止められない。
本当に好きなんだなぁ・・・って、思う。

最近、トントご無沙汰ですけど。
広告の魅力って、そういう人たちが源泉なのかもしれないなぁ。

2007/04/02

広告に必要なのは

新人が入ってくるこの時期。
新人研修を担当しているので、幸せなことに、初心に帰るチャンスがめぐってくる。

ありがたい。

広告に夢と希望を持って入ってくる若者達も少なからずいる。
また、幻想を打ち砕かれるものもいる。

でも、彼らに伝えたいことは一つだ。
広告とは何か?
と、問い掛け続けることだ。

殆どの人は、忘れてしまう。
地位、名誉、権力、財産・・・と、道を過つ人の多いこと。
一つの広告が人を不幸にも幸せにもする。
そんな感動を得られないまま、また、感じることもないまま、
記号情報を流し続けることしか分からない様では、悲しい。

広告で出来ることは僅かだが、
それすらも日々の積み重ねの結果でしかない。
これに道を求め、極めることに意味を見出せないのなら、広告なんか辞めてしまえ。

ちと、過激に言い放ってみる。

2007/03/30

事件は現場で起きている

波乗りペンギンの古い友人達は、みんなお偉いさんになっている。
そんな中、波乗りペンギンが執拗に現場にこだわって、下へ下へ潜ろうとするのは、そこに知りたいことであり大切なことがあるからだ。

負け犬の遠吠えか?と揶揄もされるが、その事の重大さに気付けない人間に、何を言っても無駄である。
しかし、一部の経営者層は、その恐ろしさを知っている。
知っているが、現場に出ていったら・・・
会社は誰が面倒見るんだ!?という事になるので、現実的には無理な話だ。
結局、多くの会社が足元を掬われた要因は、現場なのに、である。

アフィリエイターといわれる人の中でも、一部不心得者が、
効率的に稼ぐために使っている不正な手法を知っているだろうか。

個人サイトに法人企業が広告を出すと、避けられない問題が出る。
その問題はどんなことか知っているだろうか。

これらは間違いなく、現場で働いている担当者、みんな直面している危機的な課題のはずだ。
金融系広告主が激減したことなんて、それに比べれば小さな問題でしかない。
現場は、日々対応に追われている。

面白おかしく話を聞いている人も多いだろうが、
正しい前提でデータは効果検証されるわけで、
これが間違っていたとしたら、全ては無駄になるのだ。
業容によっては、会社の存在そのものが否定されかねないのだ。

2007/03/07

重なる広告媒体説明会

最近、媒体説明会情報を積極的に収集する余裕がなくなった波乗りペンギンだが、やはりマズイ事態になってきていると実感。
とりあえず、重なって欲しくない媒体説明会の主催企業を挙げておくので、内向きの仕事ばっかりしてないで、横で連絡を取り合って欲しい。
cci、DAC、Yahoo!JAPAN、D2C、mediba。

もちろん、別のルートで重ならない仕組みを模索しているが、時間が掛かるので自主的にやってちょ。

2007/03/04

勝手サイトでも志はある

しかし、資金はない。
サイトを作って運営してるが、ユーザーサービスを充実する元手がない。
そういう、事業部門やベンチャーの人って、生き残っているかな。

もちろん、資本金を出して欲しいとか事業資金を貸して欲しいという、場当たり的な志のない人は除いて。

つづく・・・。

2007/03/01

広告からコミュニケーションへ

業界的には10年以上前から、言われていたことなので、今更だが。
今さらをネットで繰り返さなければならない昨今。
どうやら、情報の断片化が起きているようだ。

過去にあったことを体系的に、知識化できていないということだ。
IT化が進む現代において、皮肉な現象である。

小池良次さんが、あのインターネットマガジンに書いたのが2000年だから、
小池さんの指摘は7年後の波乗りペンギンにズシンと響いたのである。
熟読していたはずが、理解には至っていなかったことが露呈。
たぶん、小池さんの七年前を波乗りペンギンは辿っているらしい・・・。

さて、ネット広告業界向けに解釈を加えると、
1.多くの企業がネット広告に参入
2.合従連合(買収と合併)と人材の流動化(転職)
3.多岐に渡る商品と短命化
という3大要素が受け継ぐべき知識を散逸させながら、市場拡大が起きているのだ。

この場合の知識の一つ一つは、もちろん、ネットで簡単に手に入るレベルである。
しかし、断片化しているために、これを繋ぎ合わせても意味が判らなくなってしまう。

なぜ、バナーのサイズを決める必要があるのか?
お金を頂ける広告主の掲載を審査するのはなぜか?
広告の内容ではないポイントや懸賞で、生活者の興味を引くのは何故ダメなのか?
はてさて、皆は分かるのだろうか・・・。

2007/02/21

広告は迷惑かつ有害

クリック課金、成果報酬という流れで
リスティング広告やアフィリエイト広告なる言葉が定着した今、
広告は迷惑で有害なものになった。

悲しいことだが、現実を避けては通れない。

かといって、嘆いてばかりもいられない。
状況は危機的な段階である。
間接的とはいえ、リンクに繋がれた先は、
犯罪の温床となり、生活者に被害が出始めている。

新聞報道でも取り上げられる機会が増えてきたし、
行政も具体的な行動に出ている。
すでに真っ当なビジネスが出来ない部分もあり、
その境界も玄人筋すら見当が付かなくなってきている。

ネット広告で後手に回ったのが致命的だった。
モバイル広告も勝手サイトの台頭で、デジャブ・・・である。
強力なセーフティネットを公式サイトを中心に張ったのが裏目に出た。

転んでも痛くなければ、転ばないように注意することがなくなるようなもんだ。
痛いという経験がないから、走り出してしまう始末。

歴史は繰り返すと、よく言ったものだ。
つくづく、人間は難しいものだということを思い知らされる。

はてさて、人の欲望を利用する魑魅魍魎は手強いぞ。
その世界で生きてきたヤツラだ。
こっちも実態は全く掴めていないし、情報不足だ。
やはり、虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・か。

2007/02/20

餌を咥えるまで紐を引くな

どうもセッカチな人たちが多い。
鵜飼だって、鵜が魚を咥えてから紐を引くのに、
時間で引っ張りやがる連中がいる。
もうちょっと、鵜を良く見て頂戴って。

鵜飼を株主や親会社、役員や管理職者に置き換えてみよう。
何か見えてくるものがあれば幸いである。

もちろん、「待てない」連鎖もあるだろう。
ならば、誰かが防波堤にならなければ、永遠に誰も待たなくなるし、待たなければ育たない事になる。

結果、結果と成果を求める世の中であるが、
王道に近道なし。
地道に積み上げたものこそ、礎となるのだ。

また、鵜にも考えて欲しいことは在る。
転職が簡単な今だからこそ、ある程度踏ん張った経験を積んで欲しいのだ。
誰もが楽しく簡単に仕事が出来るに越したことはないが、
現実は課題を見つけては乗り越える毎日である。

理不尽なことも不条理なことも、
それを抱え込んで押し切ることも場数を踏めばやることになるし、
越えてはいけない一線の手前で、
相手も案件も張り手を繰り出しながら寄り切る覚悟が必要だったりするわけだ。
もちろん、気迫で。

真っ当なことを言っても相手にされないことは多い。
自分の考えを押し付けるだけでは理解されないことも多い。
それでも、ブレないことが大事ではないだろうか。

広告も同じだと考える。
相手に届くメッセージになるためには、ブレない姿勢が大事だ。
フラフラしたヤツには、貫けないもんだからね。

2007/02/18

創るために壊し、解き放つために縛る

革新とは何か。


広告においては、ことさら大きな意味がある。
革新なくしては成り立たないサービス産業だからだ。

新聞や雑誌は産業革命があっての存在だし、その延長線上にラジオやテレビがある。
そして、情報革命の後にはインターネットがある。
どれも、重要な広告媒体だ。

が、しかし・・・だ。

容器は新しくなれど、中身は後退している。
日本には俳句や短歌など、言葉を短くしながらも芸術的な表現を実現させておきながら、これは全く生かされていない。
水墨画の様に、一色で豊かな世界が出来るのに、これを突き詰める間もなくフルカラーだ。
技術のパワーに頼りすぎている今、大きな落とし穴がパックリと口を開けて待っているのではないか?


といい続けているが、どうも伝わらないようなので、強制的に考えて貰った方が良さげと思い、左肩をそっと隠してみたりする。
転ばぬ先の杖を圧し折る様な連中には、転んで足の一本も折ってもらいましょう。
人の痛みを知る事もまた、成長には必要なことだし・・・と。

2007/02/15

広告代理店がなくなる日

既存メディアはインターネットに押され気味。
web2.0で広告代理店は上がったり。

でも、似たようなことは沢山ある。
テレビやビデオの登場で、映画がなくなったかというとハリウッドは今でもある。
ただ、映画館が消えつつある。
銭湯や本屋、これも似たような状況。

結局、業容を変えるしか生き残る道はないのだと思う。

いったん話を変えて、

全自動カメラが世に出たとき、一眼レフが一般化したとき、
写真屋さんと写真家は廃業かといわれたが、今も生きている。

ならば、

ユーチューブとか消費者作成の投稿CMが流行っても、
広告会社は残るかもしれない。
その差異化ポイントは何か?

波乗りペンギンは、ずっと考えいた。
広告代理店が広告会社になって、別のものになる日が来る・・・と。
その日を迎えるには、どうしても避けられないことがある。

それは、消費者の洗礼である。
迷惑としか思われない広告を垂れ流す、節操の無い連中を浄化するプロセスが必要なのだ。
そのためには、広告というものを知ってもらう必要があるし、オープン化して消費者や関係者に知恵をつけてもらわなければならない。
しかも、それを可能にするインターネットを知ってしまったのだ。

ということで、since 1997。

2007/02/08

下手なターゲティングも数打ちゃ当たる

商品と購買者のミスマッチというのは、殆どの製品で起きている。
その程度の差こそあれ・・・だ。

有名な話は三菱の「i」だ。
古くはポケベル。
何が違ったのかは、調べてみてちょ。
面白いぞ。

シニアケータイも蓋を開けてみたら、爪の長い女性が使っていたという話もある。

企業の狙いが、狙い通りにしかならないなんて事はない。
女性雑誌も、編集が設定した年齢よりも、3歳下になるなんて法則もある。

マーケティングにセグメンテーションという言葉があるが、
これは細分化であってターゲティングではない。
どうも、みんな誤解しているとしか思えないが、
ターゲティングで効果が上がるのは、絞り込んだことによって母数が減るからである。
つまり、バラ撒きから局所集中にしたからである。

裏を返せば当たり外れが大きくなると同時に、
当たれば当たったで、ターゲットが疲弊(満腹)しやすくなる。
いわゆる「飽き」が来るのが早まる。
そして、企業はCRMに頼り勝ちになる結果、加速的にブランドを弱らせるのである。

気が付く内はまだ良い、新規獲得に向けたブランド再生をする時間がある。
しかし、殆どは気が付かないまま死んで行くブランドの山である。
商品のバリエーション、サブブランド展開で切り抜ける手法もあるが、
コンセプトを曖昧にし尖った部分が無くなっていく場合が多い。
例えば?ソニーのウォークマンはインターネットで iPod より選ばれているだろうか。
任天堂はプレステに勝てなかったが、携帯ゲーム機では独壇場である。

企業、商品、それぞれにブランドがあるけども、
勝ち続けるのは難しい。
生き残るだけでも良い。
おそらく、それすら100年の単位で見れば、数えるくらいしかないはずだ。
幾百万の企業、商品があれど・・・。

それって広告?

最近多いのが、「カタカナ」+「広告」である。
でもって、誰も疑問に思わない。
つまり、興味がないのである。

良かれ悪しかれ、興味を持たれないという事は、広告にとって致命的である。
注意喚起しても、生活者から無視されているわけだ。
そして、被害に遭うと初めて気が付くのである。
あ・・・広告って書いてある・・・と。

それで、「なんだ、広告じゃねぇか。」と納得されちゃっているこの頃。
おいおい、それで良いのか・・・。

だったら、良くないように業界関係者を締め上げるしかないワケで、
官庁や司法を巻き込んで、広告を許認可制にしてしまうおうという非常事態も想定できる。
自浄能力がないなら、強制的に行政フィルターで濾過ということだ。

みんな、気が付いてないでしょ。
迷惑メール関連法案の前後にも、いくつか省令が出ている。
まじめに適用したら、たぶん、ネットの広告主は壊滅状態。
景表法違反、薬事法違反、不正競争防止法違反、著作権法違反、出資法違反、不当表示、不実記載、あぁ・・・コンテンツが消えていく。

2007/02/06

情報を持っている人を知っていること

頭の良し悪しよりも、人脈が命の広告業界。
博識でも優秀でも、結局敵わないのが人脈の豊富な人である。

誰一人例外なく、一日は24時間しかない。
身体は一つしかない。

計算はコンピュータで早くできるだろう。
移動は飛行機を使えば短縮できるだろう。

だが、人一人で出来ることは多寡が知れている。


世の中全てを知ることなんて並みの生物では無理だ。
だから、どうしても分からない時は、素直に聞くことにしている。

先日も、知りたいことがあったのだが、どうも見つけられない。
たぶん、見つけるだけの知識が無いみたいなのだ。
そんなときは、とりあえず迷惑承知でワーッと話してみると、
数時間も足踏みしていたのがバカみたいに思えるほど、答えを貰えた。
なんともスッキリ。

やはり、誰に聞けばいいのか判っている事は、大事だと思う次第。
ちょいと応用すれば、困ったときは誰にすがればいいのか、と同じことだと思う。
もちろん、助けて貰えるかどうかは日頃の行いなんだけど・・・。

2007/01/24

実は道具に過ぎないということ

NHK特集でgoogleが取り上げられていたが、ネット広告業界の関係者にとって、見るだけ無駄だったという声がある。
再放送があったので見ていたが、何のことは無いPRビデオである。
利用されちゃってるだけでした。

いみじくも番組中にgoogleのCEOシュミット氏が言っていたのだが、気が付かなかったのね?。

ネットで検索できないものを無くすこと、それはインフラ論だ。
しかし、それを使うのは人なのである。

テレビを見て、それも国営放送局を通じて、googleは自己主張をしている。
それは、テレビを認めているからであり利用価値があるからだ。

ということは、googleが直接伝えられる相手は、テレビなどのマスメディアと何ら変わりがない「一部の人々に過ぎない」ということを知っているからである。
波乗りペンギン的な表現に直すと、「人の"ある側面"に向けたコミュニケーション」しかできないのである。

この辺は、ADKインタラクティブの横山氏に、わかりやすく本を書いてもらえると思うので、そちらに譲ろう。(笑)

2007/01/22

掛け時計事件

ある会議で、「掛け時計がないと時間が確認できないね」と発言したら、
「ケータイの時計見ろよ」
「パソコンにもトケーがあるだろ」
という言葉が雨あられ。

・・・。

そうやって、皆じぶんの時計で一日が過ぎていく。


一つの時計を見ながら、一つの時間で
一つにいる共感の場がつくれる。
チームワークも方向性も、同じ時空間を共有しない限り、何も創造的なものは生まれない。

広告はコミュニケーションだ。
心のつながりがなくなり、連続した作業の結果に「広告」があるなら、
そんなものは広告ではない。
夢も希望も無くなったゴミだ。

ゴミ。

インタラクティブ系広告業界の人材不足

それはもう、致命的な人材不足です。
「逸材を見つける伯楽」がいないという部分での、人材不足です。
使い方を知ってれば、どんな課題にも解決側を豊富なアイデアと体験で提供してくれる人がいたり、酒飲んで昼間から酔っ払っているのに、コネクションはピカ一だったり、さえないサラリーマンのようでダンスホールじゃ王子様だったり、社内には有為な人材が仮面をかぶっている。
どうよ、この状態。

会議じゃ誰もビビって話せないだろう。
世界も業界も見えてないから、社内だけ見回しても逃げ道はないしね。

ちなみに、他人の芝よ。
何処に転職したって、現実は変わらない。

君自身が変わらなきゃね、

2007/01/18

勝ち方にこだわる

世の中、勝ち組だの負け組みだのと、二分割する格差社会であるが、
ブランディングは勝ち方の問題だと思っているので、
勝てば良いという発想では、結局負けているのだと思う。
誰も負けるために戦っているわけじゃない。

哲学、美学とも言うはずだ。
顧客の信頼を勝ち取るには、絶対外さない約束が必要である。
それこそ、どんな愚直なことでも良い。
ブランドプロミスは必要だ。

マーケティングは自己認識を助けることはあっても、
信念にはならないし意思にもならない。
上位概念にある「哲学」の下で真価を発揮する。

アップルのジョブス、彼は体現している。

結局、人々にエンターテイメントを独創的なツールで魅了していく。
ipodすらはじまりに過ぎなくて、iPhne、iTV・・・と、
製品ラインナップは整いつつある。

これを繋げて、、一体なにしよとしているのか。
本当にホームPCがディレイ放送で、タイムシフトする時が来るのだろうか。

そして、その時が来たら、広告はどうなる?

2007/01/14

鶏の様なネット広告業界

3年前のことも覚えていないのか。
こんどは、モバイル広告で盛り上がろうと?

検索が当たり年だという。
モバイル版のgoogleを狙うって!?
ヤフーのメニュー階層が検索に変わったときと同じなのか?
モバイルだからといって同じことが起きるわけじゃないだろう。

確かに市場は大きくなるだろうが、インターネットの「それ」とは違う。

その短絡的で生活者を馬鹿にしたような貧困な発想、
場当たり的で意思のない広告もどきなど、
壊滅してしまうがいい!!

ちゅうわけで、
生活者を食い物にしようとするバカモノどもに、
コスト増という災いあれ!

クリック妨害しまくり、
クリックどこもだけの評価、
広告主満足ナンバーワンは生活者の不満足。

これだけ書いても、地雷踏むんだから・・・。


お節介にも補足だけしておこう。
PCインターネットとモバイルインターネットは、利用者の意識が違う。
同じ言葉でも解釈が違う。
だから、マス・PC・モバイルでナンバーワンになったメディアはない。
そして、異なるメディアの成功事例を持ち込めない。

論理的構造=メニュー階層式、
直感的構造=検索ダイレクト式、
しかし、感情的構造は口コミ式なのを忘れている。

どんなに立派なサイトも広告も、
人の口には戸は立て掛けられぬ。

2007/01/05

広告バブルを抑止せよ

インターネットだのモバイルだの、広告の頭に言葉をつけて、謀る者を排除せよ。
言葉の組み合わせでごまかす限り、中身はない。
広告そのものを変える者たちにこそ、変革への勇気が賞賛されるべきである。

自己矛盾を起こしていると!?
いや、広告人であるという基点は変えたつもりは毛頭ない。(毛根は少なくなっているが)
広告するとして、有効な方法やメディアが、インターネットやモバイルだと思っている。
決して、メディアミックスだのIMC、新聞媒体や雑誌媒体、などが広告ではない。
つまり、広告=マーケティング=広告媒体ではないのだ。

ましてや、「インターネット=広告」とか「モバイル=広告」なんて、あり得ない。

そもそも、広告があろうがなかろうが、媒体は存在し成立できる独立したものだ。
一方、広告は媒体なしには存在できない。
時に、広告は言葉や図表に置き換えられ、インフラ化した新聞やテレビに載るしかないのだ。
コピー、デザインが大事な理由がわかるだろうか?

もちろん、コピーやデザインは効果的に伝える芸術的技法であるため、当たり外れが激しい。
少なくとも、
・広告をしたい側、代理人 (広告主、広告会社の営業責任者)
・広告を作る責任者 (クリエイティブディレクター、アカウントプランナー)
・広告の企画を考える人 (マーケティングプランナー)
・広告の伝え方を計画する人 (メディアプランナー、コーディネイター)
という役割を担っているスペシャリストの意思統合をしなければ作品は出来ない。

検索ワードを入札して広告などとは片腹痛い。
何が言いたいんだろうか。
何を伝えたいんだろうか。
そんな視点のない広告など、ましてやリンク先のページなど、マニュアルどおりの効率を高めてはくれるだろう。
しかし、売れる構成に配置されたページを見て、生活者はどう受け止めるのだろうか。

肝心なことが抜けてないかね。
人の心があるかね。
寂しいね。

出来ることと、やっていいことは別。
出来るけど、やらないという選択をしないと、
出来ることだけしか、やらなくなるだろう。

そうなると、出来ることを工夫しようとはしないだろう。
たんに、スレスレを狙うわけだ・・・。グレーな広告代理店だったあの時代へ・・・。