2005/07/22

見込み顧客って、何?

ノソノソっと、ネット広告業界に復帰中ですが、久々に某最大手ポータルサイトの媒体説明会に参加しました。
気になったのは行動ターゲティングの話。
ポイントは個人を特定しない、ブラウザー特定という所でした。
これで、静的自己申告プロファイルベースに蓄積データで動的な働きかけをしながら、絞り込んで行こうという訳らしいです。
うーん、意味のないデータマイニングやアンケート調査との違いはあるのか?と考えてしまった波乗りペンギンも意味無しかもしれない・・・と思いつつ。

そんな時に、「広告は死につつある」なんて記事を見て、こんなロジックに納得する業界関係者が沢山いるんだろうなぁ・・・と、やっぱりブログに書き込んじゃうのでした。

記事で指摘されている部分は、ほとんど「ブランド」という言葉が、広告業界でキーワードとなった背景を触っている程度だと思いますよ。
ただ、どんな有名な方か知りませんけど、

---記事より引用
Web 分析は、悪い広告だけでなく悪い営業にも効く治療薬だ。
---記事より引用

いやいや、そりゃ言い過ぎでしょう。
企業活動のすべてがオンラインで行われている、映画マトリックスのような、状態なら確かにそうでしょう。でも、どんな企業であれ、コミュニケーションはリアル(オフライン)な部分を残していますよね。
いつも例えてますけど、注文はネットで可能でも、配達は人間がやってます。食べるのはパソコンじゃなくて人間ですから、五感を通じて入ってくる情報処理は別物ですよね。

---記事より引用
従来型の広告でいまだに効果が出ているなら、実はそれは広告をしているのではなく、顧客を説得しているに違いない。
説明する前に質問させてほしい。広告/マーケティングと営業の違いは何だろう? 実のところ、ほとんど同一のものだ。両者のただひとつの違いは、原因と結果を正確に測定できるかどうかということ。
---記事より引用

まぁ、視点の違いだろうか。
広告=マーケティングは、関係性が違うと思う。
それと、営業を比較するのも、どんな相関関係図を持っているのか?一連の記事からは理解できない。

さて、話を戻しましょう。

行動ターゲティング、広告は死につつある、どちらもデータ主義なのが気に掛かるわけです。
・データの信憑性
・解析結果の解釈
・戦略的意思決定
・軌道修正のタイミング
などなど、不確実な有機体が反応する人間社会ですから、盲信や絶対視は危険ですよね。

2005/07/17

広告効果が検証出来ないワケ

古くて新しい課題。それが、「広告効果の検証」というヤツです。
研究論文もあるし、大規模なキャンペーンには、検証レポートが存在しているのは確かです。

しかし、未知→認知→理解→確信→行動の5つの段階のコミュニケーション・スペクトラムで、分析されているケースが多いはず。
1.キャンペーン前の知名率 → キャンペーン後の知名率
2.キャンペーン前の認知率 → キャンペーン後の認知率
3.キャンペーン前の理解率 → キャンペーン後の理解率
4.キャンペーン前の購入率 → キャンペーン後の購入率
これが、ターゲット別にグラフ化される。 (社名、ブランド名、キャンペーン名など)
性、年代、来店頻度、家族形態、住居携帯などなど。
ざっくり、3千万円はかかるでしょうね。

毎回思うんだけど、購入前に決めていた商品と違ったものを買う人が居るんですね。
何でって聞くと、「何となく」「かわいかったから」「安かったから」とインタビュー結果は並ぶ。
リピーターには、「良かったから再購入」で顧客になる人と、「どれでも一緒」だから安いものを買うわって消費者に分かれる。
良かった人はさらに質問に受け応えてもらう。
何が気に入ったのか、何が良かったのか・・・。

おまけの風船が欲し買ったから、1本増量だったら、マネキンの舌技でイカされたから。
買った理由はデータにならない事の方が多い。
が、これをレポートにして、検証報告書が出来るわけです。

なんとなく、顧客設定における継ぎ接ぎコンセプトが見て取れますね。
全層で数値は20%以上のアップ。

特に「安いから」は400%も伸びましたよ。
安くすると売れると言うことは、価格に対応するだけの商品価値不在が見えますね。
いや、問題点は早急に改善される事をお薦めしますよ。

ま、次があれば・・・ですけど。

2005/07/06

認知の限界

広告業界誌や専門書に出てくる「認知率」。
実はどんなに知られている社名やブランド名でも、100%はない。
また、認知率が90%を越えると、それ以上あげるのに大変な労力を必要とすることが体験的に知られている。

何故?

ネット系広告実務者の間でも、疑問に思った人は稀なはず。
でも、CTRだけで広告が売れ続けるほど甘いビジネス界じゃ、ござんせん。
早晩、行き詰ってインプレッション・・・認知の獲得へと話はシフトするわけでした。

よくよく発表資料をひっくり返すと、「知っている」「聞いたことがある」とか「見た」「見たことがある」というのを一括して、「認知されている」としてるのだけど、気が付いてる?

これは、インターネット広告業界で話題となった「波乗りペンギン」という匿名サイトについてのお尋ねです。
Q.あなたは「波乗りペンギン」という言葉を聞いた事がありますか?
A.聞いた事がある、聞いた気がする、聞いた事がない、分らない
Q。あなたは波乗りペンギンを見たことがありますか?
A.見た、見た気がする、見てない、分らない


いわゆる純粋想起ベースのリサーチですね。

Q.あなたは波乗りペンギンを知ってますか?
A.説明できる、理解している、知っている、ちょっと聞いた、知らない、分らない
Q。あなたは波乗りペンギンを見たことがありますか?
A.容姿を説明できる、目に焼きついている、見た、チラッと見た、見てない、分らない


はてはて、後半の設問は無茶苦茶です。
認知と理解と、ごたまぜじゃないっすか。

おまけに、人には忘却する機能がありまして、覚えていられないわけです。 しかも、回答のすべては主観的な個人の問題です。 人間の思考は機械に置き換えられない現状からすれば、 どんなにシミュレーションしたって脳内でのニューロン強化は見られませんし、 固定化できない問題です。

簡単に言うと、「私の思うリンゴ」と「あなたの思うリンゴ」は、同じリンゴでありながら、産地や色、甘酸っぱさ、瑞々しさが全然ずれてイメージされてしまいます。 これは、良し悪しの問題ではなくて、人間の多様性が持つ進化への鍵とも言えましょう。 この多様性の鍵は、必ず異なった文明に属するの敷物の上に置かれるわけです。 では、この鍵がカギとして利用してもらえるでしょうか。

かなりの努力が必要でしょうけど、錠前と一緒において、実演すると理解してもらいやすいでしょうね。
でも、鍵の掛け方開け方には、鍵が錠前を開ける道具であること認知しなければなりません。
穴に差し込む、回転する、錠前がロックされる。 と進められるわけですが、3歳児はやり方は覚えても、理解までには至りません。 よって、鍵を「鼻の穴」「コンセント」「FDDにいれる」など縦横無尽の行動に至るわけですね。

話を元に戻しましょうか。

鍵を知っているか? というのだと、受け手側に、解釈の幅がでるです。 ヒロシです・・・。
物体としての鍵の名称なのか、比喩的な意味での鍵なのか、扉を開けることを意味しているのか、コンテクストによっても異なるハズです。

でも、多様な解釈を許す質問をすると、

言葉を知っているのと、言葉の意味を知っているのでは、大きな違いですから、 選択肢が適切でなければ、人は最も近いものを選ぶです。 DTRだと、選ばないとエラーが出るです。これでは、誘導尋問と何が違うのか、調査と言えるのか疑問でしょう。

さらに、この調査を実施した直後にサンプルは変化してしまうのです。 プロシューマーと言われる調査ズレしている生活者の誕生です。

彼らは、一里先からでも企業のプロモーションを嗅ぎ分ける情報力を身に付けている。その場しのぎのキャンペーンで、商品が売れていないことを、サービスに人気のないことを、感じてしまうニュータイプなワケです。

米国ではYジェネレーションと言われてる、アレです。
日本だと2チャンネラーがモデルイメージかな。