2007/01/22

掛け時計事件

ある会議で、「掛け時計がないと時間が確認できないね」と発言したら、
「ケータイの時計見ろよ」
「パソコンにもトケーがあるだろ」
という言葉が雨あられ。

・・・。

そうやって、皆じぶんの時計で一日が過ぎていく。


一つの時計を見ながら、一つの時間で
一つにいる共感の場がつくれる。
チームワークも方向性も、同じ時空間を共有しない限り、何も創造的なものは生まれない。

広告はコミュニケーションだ。
心のつながりがなくなり、連続した作業の結果に「広告」があるなら、
そんなものは広告ではない。
夢も希望も無くなったゴミだ。

ゴミ。

インタラクティブ系広告業界の人材不足

それはもう、致命的な人材不足です。
「逸材を見つける伯楽」がいないという部分での、人材不足です。
使い方を知ってれば、どんな課題にも解決側を豊富なアイデアと体験で提供してくれる人がいたり、酒飲んで昼間から酔っ払っているのに、コネクションはピカ一だったり、さえないサラリーマンのようでダンスホールじゃ王子様だったり、社内には有為な人材が仮面をかぶっている。
どうよ、この状態。

会議じゃ誰もビビって話せないだろう。
世界も業界も見えてないから、社内だけ見回しても逃げ道はないしね。

ちなみに、他人の芝よ。
何処に転職したって、現実は変わらない。

君自身が変わらなきゃね、

2007/01/18

勝ち方にこだわる

世の中、勝ち組だの負け組みだのと、二分割する格差社会であるが、
ブランディングは勝ち方の問題だと思っているので、
勝てば良いという発想では、結局負けているのだと思う。
誰も負けるために戦っているわけじゃない。

哲学、美学とも言うはずだ。
顧客の信頼を勝ち取るには、絶対外さない約束が必要である。
それこそ、どんな愚直なことでも良い。
ブランドプロミスは必要だ。

マーケティングは自己認識を助けることはあっても、
信念にはならないし意思にもならない。
上位概念にある「哲学」の下で真価を発揮する。

アップルのジョブス、彼は体現している。

結局、人々にエンターテイメントを独創的なツールで魅了していく。
ipodすらはじまりに過ぎなくて、iPhne、iTV・・・と、
製品ラインナップは整いつつある。

これを繋げて、、一体なにしよとしているのか。
本当にホームPCがディレイ放送で、タイムシフトする時が来るのだろうか。

そして、その時が来たら、広告はどうなる?

2007/01/14

鶏の様なネット広告業界

3年前のことも覚えていないのか。
こんどは、モバイル広告で盛り上がろうと?

検索が当たり年だという。
モバイル版のgoogleを狙うって!?
ヤフーのメニュー階層が検索に変わったときと同じなのか?
モバイルだからといって同じことが起きるわけじゃないだろう。

確かに市場は大きくなるだろうが、インターネットの「それ」とは違う。

その短絡的で生活者を馬鹿にしたような貧困な発想、
場当たり的で意思のない広告もどきなど、
壊滅してしまうがいい!!

ちゅうわけで、
生活者を食い物にしようとするバカモノどもに、
コスト増という災いあれ!

クリック妨害しまくり、
クリックどこもだけの評価、
広告主満足ナンバーワンは生活者の不満足。

これだけ書いても、地雷踏むんだから・・・。


お節介にも補足だけしておこう。
PCインターネットとモバイルインターネットは、利用者の意識が違う。
同じ言葉でも解釈が違う。
だから、マス・PC・モバイルでナンバーワンになったメディアはない。
そして、異なるメディアの成功事例を持ち込めない。

論理的構造=メニュー階層式、
直感的構造=検索ダイレクト式、
しかし、感情的構造は口コミ式なのを忘れている。

どんなに立派なサイトも広告も、
人の口には戸は立て掛けられぬ。

2007/01/05

広告バブルを抑止せよ

インターネットだのモバイルだの、広告の頭に言葉をつけて、謀る者を排除せよ。
言葉の組み合わせでごまかす限り、中身はない。
広告そのものを変える者たちにこそ、変革への勇気が賞賛されるべきである。

自己矛盾を起こしていると!?
いや、広告人であるという基点は変えたつもりは毛頭ない。(毛根は少なくなっているが)
広告するとして、有効な方法やメディアが、インターネットやモバイルだと思っている。
決して、メディアミックスだのIMC、新聞媒体や雑誌媒体、などが広告ではない。
つまり、広告=マーケティング=広告媒体ではないのだ。

ましてや、「インターネット=広告」とか「モバイル=広告」なんて、あり得ない。

そもそも、広告があろうがなかろうが、媒体は存在し成立できる独立したものだ。
一方、広告は媒体なしには存在できない。
時に、広告は言葉や図表に置き換えられ、インフラ化した新聞やテレビに載るしかないのだ。
コピー、デザインが大事な理由がわかるだろうか?

もちろん、コピーやデザインは効果的に伝える芸術的技法であるため、当たり外れが激しい。
少なくとも、
・広告をしたい側、代理人 (広告主、広告会社の営業責任者)
・広告を作る責任者 (クリエイティブディレクター、アカウントプランナー)
・広告の企画を考える人 (マーケティングプランナー)
・広告の伝え方を計画する人 (メディアプランナー、コーディネイター)
という役割を担っているスペシャリストの意思統合をしなければ作品は出来ない。

検索ワードを入札して広告などとは片腹痛い。
何が言いたいんだろうか。
何を伝えたいんだろうか。
そんな視点のない広告など、ましてやリンク先のページなど、マニュアルどおりの効率を高めてはくれるだろう。
しかし、売れる構成に配置されたページを見て、生活者はどう受け止めるのだろうか。

肝心なことが抜けてないかね。
人の心があるかね。
寂しいね。

出来ることと、やっていいことは別。
出来るけど、やらないという選択をしないと、
出来ることだけしか、やらなくなるだろう。

そうなると、出来ることを工夫しようとはしないだろう。
たんに、スレスレを狙うわけだ・・・。グレーな広告代理店だったあの時代へ・・・。

2006/11/23

ガックリするとき

技術ありき、の商品やサービスを広告する時。
怪しげなビジネスだと分かるが、拒否できる理由がないとき。
広告が迷惑になったり、詐欺に利用されたとき

分厚い媒体資料を渡されたとき。
株で儲けた話を聞かされるとき。
対案や信念のない感想、つまり愚痴を聞くとき。
インターネット広告で失敗したことを、モバイル広告で繰り返すとき。

なにより、繰り返した後、誰も学んでいないことが分かったとき・・・。

2006/11/17

良い人材がいない・・・時は

先ず隗より始めよ。

手持ちの社員で会社の外に対して影響力のある社員を選ぶのだ。
選んだら、交際費予算を渡し、一切の業務から外して、
セミナーや交流会にだけ行くことを義務にして、放って置くといい。

すると、優秀な大物人材が寄ってきては定着していく。

今は開発力が落ちた企業の、ある人物から効いた話だが、
これがわらしべ長者だった。
好きな研究が出来たわけだから、自ずと類は友を呼んでメモリーが製品化されたのだ。
必要だったのは、席で自由にタバコを吸わせる事、服装や時間について何も言わないこと、それだけだったそうだ。
とうぜん、高額年俸の超エリート技術者ばかりであるが、
好きな研究が、良い環境で出来るなら、一週間泊まり込みでも研究を続けるわけだから、お尻を引っぱたかなくても死ぬまで働き続ける勢いだったらしい。
ちなみに、全館禁煙とともに消えたらしいが・・・。

あと、ちょっと不順な誘引策なので割愛する。
効果絶大だけに・・・。