2007/03/07

重なる広告媒体説明会

最近、媒体説明会情報を積極的に収集する余裕がなくなった波乗りペンギンだが、やはりマズイ事態になってきていると実感。
とりあえず、重なって欲しくない媒体説明会の主催企業を挙げておくので、内向きの仕事ばっかりしてないで、横で連絡を取り合って欲しい。
cci、DAC、Yahoo!JAPAN、D2C、mediba。

もちろん、別のルートで重ならない仕組みを模索しているが、時間が掛かるので自主的にやってちょ。

2007/03/04

勝手サイトでも志はある

しかし、資金はない。
サイトを作って運営してるが、ユーザーサービスを充実する元手がない。
そういう、事業部門やベンチャーの人って、生き残っているかな。

もちろん、資本金を出して欲しいとか事業資金を貸して欲しいという、場当たり的な志のない人は除いて。

つづく・・・。

2007/03/01

広告からコミュニケーションへ

業界的には10年以上前から、言われていたことなので、今更だが。
今さらをネットで繰り返さなければならない昨今。
どうやら、情報の断片化が起きているようだ。

過去にあったことを体系的に、知識化できていないということだ。
IT化が進む現代において、皮肉な現象である。

小池良次さんが、あのインターネットマガジンに書いたのが2000年だから、
小池さんの指摘は7年後の波乗りペンギンにズシンと響いたのである。
熟読していたはずが、理解には至っていなかったことが露呈。
たぶん、小池さんの七年前を波乗りペンギンは辿っているらしい・・・。

さて、ネット広告業界向けに解釈を加えると、
1.多くの企業がネット広告に参入
2.合従連合(買収と合併)と人材の流動化(転職)
3.多岐に渡る商品と短命化
という3大要素が受け継ぐべき知識を散逸させながら、市場拡大が起きているのだ。

この場合の知識の一つ一つは、もちろん、ネットで簡単に手に入るレベルである。
しかし、断片化しているために、これを繋ぎ合わせても意味が判らなくなってしまう。

なぜ、バナーのサイズを決める必要があるのか?
お金を頂ける広告主の掲載を審査するのはなぜか?
広告の内容ではないポイントや懸賞で、生活者の興味を引くのは何故ダメなのか?
はてさて、皆は分かるのだろうか・・・。

2007/02/21

広告は迷惑かつ有害

クリック課金、成果報酬という流れで
リスティング広告やアフィリエイト広告なる言葉が定着した今、
広告は迷惑で有害なものになった。

悲しいことだが、現実を避けては通れない。

かといって、嘆いてばかりもいられない。
状況は危機的な段階である。
間接的とはいえ、リンクに繋がれた先は、
犯罪の温床となり、生活者に被害が出始めている。

新聞報道でも取り上げられる機会が増えてきたし、
行政も具体的な行動に出ている。
すでに真っ当なビジネスが出来ない部分もあり、
その境界も玄人筋すら見当が付かなくなってきている。

ネット広告で後手に回ったのが致命的だった。
モバイル広告も勝手サイトの台頭で、デジャブ・・・である。
強力なセーフティネットを公式サイトを中心に張ったのが裏目に出た。

転んでも痛くなければ、転ばないように注意することがなくなるようなもんだ。
痛いという経験がないから、走り出してしまう始末。

歴史は繰り返すと、よく言ったものだ。
つくづく、人間は難しいものだということを思い知らされる。

はてさて、人の欲望を利用する魑魅魍魎は手強いぞ。
その世界で生きてきたヤツラだ。
こっちも実態は全く掴めていないし、情報不足だ。
やはり、虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・か。

2007/02/20

餌を咥えるまで紐を引くな

どうもセッカチな人たちが多い。
鵜飼だって、鵜が魚を咥えてから紐を引くのに、
時間で引っ張りやがる連中がいる。
もうちょっと、鵜を良く見て頂戴って。

鵜飼を株主や親会社、役員や管理職者に置き換えてみよう。
何か見えてくるものがあれば幸いである。

もちろん、「待てない」連鎖もあるだろう。
ならば、誰かが防波堤にならなければ、永遠に誰も待たなくなるし、待たなければ育たない事になる。

結果、結果と成果を求める世の中であるが、
王道に近道なし。
地道に積み上げたものこそ、礎となるのだ。

また、鵜にも考えて欲しいことは在る。
転職が簡単な今だからこそ、ある程度踏ん張った経験を積んで欲しいのだ。
誰もが楽しく簡単に仕事が出来るに越したことはないが、
現実は課題を見つけては乗り越える毎日である。

理不尽なことも不条理なことも、
それを抱え込んで押し切ることも場数を踏めばやることになるし、
越えてはいけない一線の手前で、
相手も案件も張り手を繰り出しながら寄り切る覚悟が必要だったりするわけだ。
もちろん、気迫で。

真っ当なことを言っても相手にされないことは多い。
自分の考えを押し付けるだけでは理解されないことも多い。
それでも、ブレないことが大事ではないだろうか。

広告も同じだと考える。
相手に届くメッセージになるためには、ブレない姿勢が大事だ。
フラフラしたヤツには、貫けないもんだからね。

2007/02/18

創るために壊し、解き放つために縛る

革新とは何か。


広告においては、ことさら大きな意味がある。
革新なくしては成り立たないサービス産業だからだ。

新聞や雑誌は産業革命があっての存在だし、その延長線上にラジオやテレビがある。
そして、情報革命の後にはインターネットがある。
どれも、重要な広告媒体だ。

が、しかし・・・だ。

容器は新しくなれど、中身は後退している。
日本には俳句や短歌など、言葉を短くしながらも芸術的な表現を実現させておきながら、これは全く生かされていない。
水墨画の様に、一色で豊かな世界が出来るのに、これを突き詰める間もなくフルカラーだ。
技術のパワーに頼りすぎている今、大きな落とし穴がパックリと口を開けて待っているのではないか?


といい続けているが、どうも伝わらないようなので、強制的に考えて貰った方が良さげと思い、左肩をそっと隠してみたりする。
転ばぬ先の杖を圧し折る様な連中には、転んで足の一本も折ってもらいましょう。
人の痛みを知る事もまた、成長には必要なことだし・・・と。

2007/02/15

広告代理店がなくなる日

既存メディアはインターネットに押され気味。
web2.0で広告代理店は上がったり。

でも、似たようなことは沢山ある。
テレビやビデオの登場で、映画がなくなったかというとハリウッドは今でもある。
ただ、映画館が消えつつある。
銭湯や本屋、これも似たような状況。

結局、業容を変えるしか生き残る道はないのだと思う。

いったん話を変えて、

全自動カメラが世に出たとき、一眼レフが一般化したとき、
写真屋さんと写真家は廃業かといわれたが、今も生きている。

ならば、

ユーチューブとか消費者作成の投稿CMが流行っても、
広告会社は残るかもしれない。
その差異化ポイントは何か?

波乗りペンギンは、ずっと考えいた。
広告代理店が広告会社になって、別のものになる日が来る・・・と。
その日を迎えるには、どうしても避けられないことがある。

それは、消費者の洗礼である。
迷惑としか思われない広告を垂れ流す、節操の無い連中を浄化するプロセスが必要なのだ。
そのためには、広告というものを知ってもらう必要があるし、オープン化して消費者や関係者に知恵をつけてもらわなければならない。
しかも、それを可能にするインターネットを知ってしまったのだ。

ということで、since 1997。