2007/07/16

naminoripenguin in セカンドライフ


本格的に始めて3日目。

これは楽しい!

リアルで踊ったら病院送り間違いなしだが、ここならメタボな波乗りペンギンでもOKだ。

で、その一コマを・・・。

2007/07/11

広告は直球

ネットワーク化が進み、人の意思疎通がデジタル化され、実はいろんな経験則が正しいと思われる今日この頃。皆は、インターネットに格言は無用だと考えるだろうか。

雄弁は銀、沈黙は金(カネじゃないよ、カネじゃ・・・)。
語るに落ちる。

言いたい事だけ言うとなると、広告は最もストレートだ。
とにかくチカラ押しで剛球を無理やり放り込む。
もちろん、この手の広告は嫌われることが多い。
表現としては、連呼型といわれる。
あの、商品名やコピーを何回も何回も押し出すタイプ。

一方、最も高度なのは「言わずとも知れる」事。
問い合わせがあれば広報が答えるけど、必要以上に言わない。
こっちは、打たせて捕るので、守備が大事。
大体は信用一番のイメージ型になる。
良く分かんないブランド広告がそう。

両方をうまく使おうとしたら、非常に鍛錬が必要だ。
宣伝部と広報部は分けなければならない。
しかも、広報には潤沢な予算と人員が必要だ。
ほとんどの企業が間違うのはココだ。
広告に予算と人員を割いても、広告で売るのは名前だけである。
実際に商品やサービスを売るのは営業だから、営業が売りやすい環境を作るのが大事ではないだろうか。

これ以上は、黙して語らず、と。

2007/07/08

文は人なり、広告コピーは魅力なり

文章は研ぎ澄まされると、人を現してくる。
だから、小説家など文章力のある一節は盗用してもばれる。
もし、社内で独特の文体や表現など、流用しにくい人物がいたら要チェックだ。

文章力がない人でも工夫次第でオリジナリティは作れる。
コラージュのような組み合わせの妙味だ。
しかし、一歩間違うと矛盾だらけで、加筆した程度の内容のない文章になるぞ。

広告においては顕著だ。
文字面だけ真似ても、相手には伝わらないし気にされない。
だから、てにをは一字を変えていくという不毛なSEOになる。
広告コピーは、本質を掴み取り、
消化しやすい解釈をして、
魅力的な言葉を編み出す
職人技が必要だ。

広告表現には一部の隙もあってはならない。

2007/07/03

看板を外して広告を語れるか

かなり勇気がいるはずだ。
社名や役職を外せば、言葉の殆どが空しく響くだけだろう。


同様に、

広告賞を取るような作品を褒めるのは容易い。
だが、そうでなければ、良し悪しなど判断できる自身がある人は、少ないのではないか。



数多くの作品を見ても、批評を暗記しても無駄だ。
言葉には魂がある。
借り物であれば力はない。


改めて思うこの頃。

2007/06/22

合意形成

何かと時間と成果に追われて、信頼の醸成など無視されて久しいが、権利と義務がセットであるように、権限と責任も一緒だ。
責任を負ってこその権限であって、権限が与えられるのは責任を負うからである。
だからといって、何をして良いというものでもない。

社会の合意形成は大事である。

社内だけを見て合意形成しても広告は成り立たないので、アドバタイザーやコンシューマー、メディアを視野に入れておくのは必須だ。
どうも、ステークスホルダーという経済的な視点だけで語るベンチャーかぶれの業界もどきも少なくないが、生業とするハズの広告とは皆のバランスの上でしか成り立たないことを知らないようだ。

ま、だから何が必要かって事は、オフラインで進行中・・・と。

2007/06/20

インターネット広告業界も狭し

2年に一度、定期異動の様に転職するネット広告業界であるが、10年以上も棲んでいると再会も珍しい事ではない。
中には、二度と会う事がないと思った人も多いと思うが、5人も辿れば大統領にすら繋がるのだ。
メインプレーヤーは多いわけじゃない。
網は張られているのだ。WWWだ。

さて、久々の再開は、名刺交換から始まるわけだが、みんな立派になっている。
大きな会社にいたり、起業したり、企業グループに発展したりと、重責を担っている。

でも、どこか寂しげである。


話し込むと分かることだが、言えないことが増えてしまったのだ。
立場もペーペーじゃないから、挨拶代わりにバカな話も出来ないし軽口もたたけない。
こっちは、全然構わないんだけど。(笑)

それと、分からないことを分からないと言えない立場でもある。
辛い・・・けど、役回りとして知った振りして進めることになる。
で、迷走しちゃう。

その果てに、波乗りペンギンがパックリ口を開けて待っていたりする。
いらっしゃ~い。♪

常識に囚われないという事は、社会ルールを無視して良いという事じゃない。
誰かを犠牲にした事業は、必ず報いを受けるもの。
生活者は企業が思う以上に繊細で賢い。
事を起こす前に、話せば見えてくることもあるって。

2007/06/17

目的を知り、ターゲットを知る

広告で難しいのは、基本に忠実なことだ。
広告戦略で定められる目的、この目的の意味を知ること。
これをアドバタイザー(旧呼称:広告主)の指示するままに鵜呑みにすれば、正しい解決策は生まれない。
また、ターゲット(訴求対象)を知らなければ、目的を達するための正しい戦術は実施されない。

どんな業務でも同じはずだ。

前年対比130%の売り上げ増は目的になるのか?
それが目的なら、広告はやめるべき手段のはずだ。
広告だけで売上は増えないし、増やしてはいけないからだ。
製品・サービスの生まれた背景や目的が、生活者の役に立ってこその売上であるはずだからだ。
でなければ、売るために生まれた商品など、売れないこと自体がおかしいではないか。
広告など不要のはずだ。

市場の拡大や成長も同じだ。
プレーヤーの成長なくしては、膨張し足場も骨組みもないバブルとして弾けるしかない。

足場や骨組みは、企業文化であり哲学だ。
一朝一夕で作られるものではない。
不正を働き、人の心を失い、自分しか考えられない個人や組織は、必ず報いが下るはずだ。

社内であれば、
部下の力量も考えず、業務を丸投げしてないか。
権利ばかり主張して、義務を忌避してないか。
人の為と言いながら、私腹を肥やしてないか。

取引先とであるならば、
取引先の業容を考えて、発注しているか。
書類や会議を優先して、決断を避けてはいないか。
生活者を言い訳の主語にしていないか。

何のために働き、誰のお陰で生きていけるのか、見誤っていないか。