なんでもかんでもネット広告はシステム化が進んでしまっているが、
これがプロセスを増加させて管理自体が困難にありつつあるのではないかと、
常々思っているのだ。
そして、管理するシステムやサービスが生まれ、
一体何をしたかったのか、広告主も広告会社も分からなくなってしまっているように思う。
杞憂だろうか。
アドネットワークをアドネットワークが繋ぎ、
システムがシステムを、それぞれ独自の概念で構築されたサービスにも関わらず、
バナー原稿とリンク先情報はワームのように、
最適化されたとする媒体とユーザに配信されていく。
そして、ログは逆を辿って広告主に届く。
さて、どこまで広告主の意志や意図、
広告会社のインサイトが実行され効果測定がなされているのか疑問である。
人がすべき意思決定を歪めてしまっていないのだろうか。
広告主がすべき意思決定をさせないまま、広告がスパム化していないだろうか。
広告を伝えるべき対象が「人」ではなく、「情報端末機器」になっていないだろうか。
肥大化したシステムは、それ自体がトラブルの温床であり、過大なコストではないのか。
一度、ゼロベースで見直してみたいひとつである。
蛇足を承知で続けるが、
媒体選定はコンテンツを見て決めるという前提があって、
ユーザ属性やサーキュレーションが補助データとして生きてくるのだと考える。
これを逆にするということは、
コンテンツの一部として掲示される広告そのものを蔑にすることではないか。
誰に見せるのか、どんな人に見てもらいたいのか、
それが年齢や性別だけで決められるものであるならば、
CTRやCPAで事足りるのかもしれない。
1 件のコメント:
インターネット広告はテクノロジーの進化と共に発展してきた一面がある。その一方で「わくわく」感、「ドキドキ」感が少ないのは何故だろう。数値化だけが先行して、もう1面の双方向性がまだ充分に使いこなせていない、そんな印象を受けます
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