いかがわしい意味ではない。
きれいな言葉で言えば「ペリスコープ」にしようということだ。
その原型は「セカイカメラ」に代表されるARが概念である。
ARとはAugmented Realityの頭文字をとったもので、日本語では「拡張現実」という言葉になっている。
実はインターネット広告でバナー型が登場した時、この発想を凌ぐクリエイティブがあった。
残念ながら、それは今見ることができないし、記録してなかったので見せることが出来ない。
ただ、広告には「その一部を鋭くえぐりとり、生活者に提示する」機能が必要とされるので、ARと親和性が高いと考えている。
といっても、広告について解説しないとワケが分からないはずなので、つらつらと書いてみる。
・・・、広告は商材の全てを伝えられないという宿命がある。
一つは広告媒体への露出には費用が伴うという経済的な問題から、一つは競合社との差異化をするために同じことを伝える意味がないこと、一つは生活者が全てを覚えきれないしヒマがないこと。
並べ挙げればきりがないが、以上のような理由から、もっとも特徴的で響くことをターゲットに向けて焦点を合わせる必然性が生じる。
一方、ARは現実の延長線、もしくは現実の中にある虚構(記事の中にある広告)という関係において、現実ではない情報を「載せて」見せるというのは、TPOのマッチングというネット広告馬鹿やモバイル広告馬鹿がクソ真面目に論じる効果効率論はさておき、情報を受け取る側に選択の余地が生まれる可能性が高いと思っている。
もちろん、意味のないエアタグで埋もれてしまっている現実もあるのだが、有用な情報だけが生き残って表示できるギミックがあれば、広告は広告で表示させることも可能になるはずだ。それも、ユーザの意思に応じて。
幾つかアイデアはあるのだけれど、波乗りペンギンのモノではないので紹介は出来ない。
とはいえ、ケータイの小さな画面を逆手に取った「大きな世界」への窓は開けたのである。
来年はスマートフォンだと騒ぐメディアも多いが、パソコンの代わりを求めているのか、電話の代わりを求めているのか、ユーザが見極め始める年でしかないと思う。
第七のメディア、端末が出るのはこれからのはずだ。
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