2010/01/12

デジタル広告に勘違いさせるな

なんだか世の中(といっても一部の広告業界なんだけどね、所詮。)はインターネット広告だのモバイル広告にマンセーで困る。
勢いがあるとか伸びているから、既存メディアよりも「偉い」とか「指導的立場」にあることにはならない。

喩えていうなら、人生経験が豊富な年長者に向かって、役職が上だから「人生を教えてやる」みたいな勘違いというのだろうか。昔、そんな感じの人が捕まってたけど、忘れてるみたいだね。

ネット広告もモバイル広告も「既存メディアの一つ」になれればいいけど、そもそもインタラクティブなインターネットにおいて広告が広告であり続ける保障もない(つまり、広告がなくなるという事態だって想定すべきでしょ。)んだし、もう少し謙虚に周囲を見回した方が良いと思うわけだ。

今年、マスメディアの前年対比が大変なことになっていることは想像に固くないが、そのマスメディアが築き上げてきた「生活者」(視聴読者のことね)との経緯を軽んじてはいけない。

売上が少なくなろうが、生活者に届かなくなろうが、その延長線上に我々がいることに変わりはないのだから。

2009/12/14

ケータイをのぞき窓に

いかがわしい意味ではない。
きれいな言葉で言えば「ペリスコープ」にしようということだ。

その原型は「セカイカメラ」に代表されるARが概念である。
ARとはAugmented Realityの頭文字をとったもので、日本語では「拡張現実」という言葉になっている。

実はインターネット広告でバナー型が登場した時、この発想を凌ぐクリエイティブがあった。
残念ながら、それは今見ることができないし、記録してなかったので見せることが出来ない。
ただ、広告には「その一部を鋭くえぐりとり、生活者に提示する」機能が必要とされるので、ARと親和性が高いと考えている。

といっても、広告について解説しないとワケが分からないはずなので、つらつらと書いてみる。
・・・、広告は商材の全てを伝えられないという宿命がある。
一つは広告媒体への露出には費用が伴うという経済的な問題から、一つは競合社との差異化をするために同じことを伝える意味がないこと、一つは生活者が全てを覚えきれないしヒマがないこと。
並べ挙げればきりがないが、以上のような理由から、もっとも特徴的で響くことをターゲットに向けて焦点を合わせる必然性が生じる。

一方、ARは現実の延長線、もしくは現実の中にある虚構(記事の中にある広告)という関係において、現実ではない情報を「載せて」見せるというのは、TPOのマッチングというネット広告馬鹿やモバイル広告馬鹿がクソ真面目に論じる効果効率論はさておき、情報を受け取る側に選択の余地が生まれる可能性が高いと思っている。

もちろん、意味のないエアタグで埋もれてしまっている現実もあるのだが、有用な情報だけが生き残って表示できるギミックがあれば、広告は広告で表示させることも可能になるはずだ。それも、ユーザの意思に応じて。
幾つかアイデアはあるのだけれど、波乗りペンギンのモノではないので紹介は出来ない。

とはいえ、ケータイの小さな画面を逆手に取った「大きな世界」への窓は開けたのである。
来年はスマートフォンだと騒ぐメディアも多いが、パソコンの代わりを求めているのか、電話の代わりを求めているのか、ユーザが見極め始める年でしかないと思う。
第七のメディア、端末が出るのはこれからのはずだ。

2009/12/06

ネット広告、モバイル広告の品格

 この十数年、マス広告からインターネット広告やモバイル広告まで関わってきて、ふと振り返って考えてみると、「衣食足りて礼節を知る」というキーワードが心に浮かんできた。
やはり、社会に貢献するという広告の大義は、昔から広告に携わるものの生活水準に影響されていると考えると納得いくケースが多い。
波乗りペンギンにおいても、例外ではない。
食うに困らぬ待遇を与えられ、会いたいと思えば時間を割いてもらえる配慮を得られ、大局の見地で意見を差し挟む機会があるのも、環境に恵まれているからだ。

 とはいえ、そうではなくなったからといって、「貧すれば鈍する」ことは避けたい。
自己保身に走り、大義を歪めてまで、これに固執するのは道から外れるというものだろう。

2009/12/04

広告と書けば広告なのか

いまだに課題となっていることの一つ。
生活者からみれば、記事と広告の境目など物理的に、もしくは明示的にされていない限り判別は出来ないだろう。
ましてや、検索結果に表示されていたり、ブログに書かれているものは、広告業界にいる人だって判断出来ない事も多い。

2009/11/19

広告効果測定も突き詰めれば判るはず

あらゆるデータを取得し分析可能にすれば、広告主は自らの浅はかさを認める結果になるはずと確信できたので、モバイルに関していろいろ進めている次第。
もちろん、楽しめる要素は考えてある。

ミソは、100%の精度で解答は出ないけど、60%~80%の確実性で当たりは出るみたいな感じかな。
仕組みや仕掛けで何でも上手く行くなんて考えている人に、ちょっと、お灸を据えることになるかも。
数字に頼るものは数字に裏切られる。
もっと、信じるべきことがあるんじゃないかな。
見るべき所があるんじゃないかな・・・。

2009/11/10

永続的な企業を志しているのか

育児支援、女性の活用、など子供を何人産んでも復帰できる会社は皆無に等しい。
これでは、40年先には人口構成的に、日本の経済は成り立たなくなっていると思う。
人口統計学の予測データを見るたびに、政治も経済も希望が見出せなくなってしまう。

内需拡大は不可能で、海外に活路を求めるしかないのだが、
そうなると世界と戦って勝ち抜けるだけのビジョン、
世界に通用する理念、
そして行動。

準備が出来ている会社は少ないように思う。
もう、波乗りペンギンは生きちゃいないけど。

2009/10/28

評価されない団体活動

どこの会社でも団体活動への参加は、評価されないという。
だから、団体の会員活動参加は経営側のコミットがないと上手く回らない。
当然、経営側がコミットしてくれる会社は多くない。

いわゆる長期視点が持てないことの表れなのだが、明日に潰れるかもしれないという広告業界の厳冬期だから仕方ないのかもしれない。しかし、生き抜いていく覚悟がないと、長期的な経営戦略はどうしたって短絡的にならざるを得ない。
結果的に上場した独立系で生き残っているネット広告系のベンチャーは数えるほどしかない。大手系列のベンチャーも子会社化されたり、統合合併などでウッカリすると無くなっていたこともあるくらいだ。
環境の変化など外的要因を挙げる趣きもあるが、多くは本業のサブセット的な位置付けで事業企画を立て続けて運営してしまったから、だと波乗りペンギンはみている。

リソースを分散させるのは日進月歩で風向きの変わりやすいネット業界だと小回りが利かなくなる。
多額の資金がない限り、たとえばグーグルやマイクロソフトの様に、事業の多角化という全方位的な展開は自滅しやすい。人員補充はいつでもできるが人材補充は原石を見つけられても磨き上がるまで相応の時間が必要となる。大体、どの会社もミドルマネジメント不足に悩んでいるし、そのわりに離職率が高く、平均勤続年数が創業年数の半分以下どころか五年もないのが現実だろう。

教える人や指導する側が絶対数で不足するということは、会社として年々スキルが低下し質が落ちていくわけで、マイナスのスパイラルが止まらなくなってしまうことを意味する。
中途研修や即戦力に多額の費用を掛けようとも、一朝一夕には改善しないし、信頼に基づいた人脈ネットワークは、社内外を問わず、時間を掛けた分しか手に入らないものである。
そんなこんなで、管理職者人事や組織体制は固着化し、兼務者が溢れ、疲弊して行き詰った人からいなくなってしまうのである。

これを治すには中核事業にリソースを集め、管理職者層を分厚くし、ミドルマネジメントを育てる体制を構築し、周辺事業への供給源としなければ難しいだろう。
これはもう一つの効果も生み出す。
社内共通言語、企業文化の基礎となる。誰もが同じ部署で一度は働けば、価値観軸が揃うのである。


これとフラクタルな関係にあるのが業界である。一定の市場規模を持つと、いわゆる生態系が生まれる。一社だけでは全てをまかなう事は出来ないし、得意不得意があるので、相互補完する構造が大規模化するには必要になってくる。この辺りは「バリューチェーン」をご存知の方には説明不要だろう。
これを緩やかに繋ぎ、一定の枠内でルールをもって秩序立てていかなければ、粗悪なものや迷惑なものが台頭し顧客にダメージを与える輩が出てきてしまう。
安くていい物が次々と提供される環境ができれば問題なく良いことなのだが、取引先への不当な値下げや従業員の低賃金など、社会経済の犠牲の上に成り立つようでは、結果的に顧客先への長期的な死を提供する事になる。なにしろ、付加価値がない物をタダ量産して安く売るだけの物になるからだ。
いずれ、市場は枯れ顧客はいなくなるのだ。