2007/06/20

インターネット広告業界も狭し

2年に一度、定期異動の様に転職するネット広告業界であるが、10年以上も棲んでいると再会も珍しい事ではない。
中には、二度と会う事がないと思った人も多いと思うが、5人も辿れば大統領にすら繋がるのだ。
メインプレーヤーは多いわけじゃない。
網は張られているのだ。WWWだ。

さて、久々の再開は、名刺交換から始まるわけだが、みんな立派になっている。
大きな会社にいたり、起業したり、企業グループに発展したりと、重責を担っている。

でも、どこか寂しげである。


話し込むと分かることだが、言えないことが増えてしまったのだ。
立場もペーペーじゃないから、挨拶代わりにバカな話も出来ないし軽口もたたけない。
こっちは、全然構わないんだけど。(笑)

それと、分からないことを分からないと言えない立場でもある。
辛い・・・けど、役回りとして知った振りして進めることになる。
で、迷走しちゃう。

その果てに、波乗りペンギンがパックリ口を開けて待っていたりする。
いらっしゃ~い。♪

常識に囚われないという事は、社会ルールを無視して良いという事じゃない。
誰かを犠牲にした事業は、必ず報いを受けるもの。
生活者は企業が思う以上に繊細で賢い。
事を起こす前に、話せば見えてくることもあるって。

2007/06/17

目的を知り、ターゲットを知る

広告で難しいのは、基本に忠実なことだ。
広告戦略で定められる目的、この目的の意味を知ること。
これをアドバタイザー(旧呼称:広告主)の指示するままに鵜呑みにすれば、正しい解決策は生まれない。
また、ターゲット(訴求対象)を知らなければ、目的を達するための正しい戦術は実施されない。

どんな業務でも同じはずだ。

前年対比130%の売り上げ増は目的になるのか?
それが目的なら、広告はやめるべき手段のはずだ。
広告だけで売上は増えないし、増やしてはいけないからだ。
製品・サービスの生まれた背景や目的が、生活者の役に立ってこその売上であるはずだからだ。
でなければ、売るために生まれた商品など、売れないこと自体がおかしいではないか。
広告など不要のはずだ。

市場の拡大や成長も同じだ。
プレーヤーの成長なくしては、膨張し足場も骨組みもないバブルとして弾けるしかない。

足場や骨組みは、企業文化であり哲学だ。
一朝一夕で作られるものではない。
不正を働き、人の心を失い、自分しか考えられない個人や組織は、必ず報いが下るはずだ。

社内であれば、
部下の力量も考えず、業務を丸投げしてないか。
権利ばかり主張して、義務を忌避してないか。
人の為と言いながら、私腹を肥やしてないか。

取引先とであるならば、
取引先の業容を考えて、発注しているか。
書類や会議を優先して、決断を避けてはいないか。
生活者を言い訳の主語にしていないか。

何のために働き、誰のお陰で生きていけるのか、見誤っていないか。

2007/06/13

平社員のメリット

何千万円もサラリーを貰っている人には、10%は大きいかもしれない。
マネジメントから現場に落とされたら、やっていけないかもしれない。
しかし、薄給の平社員なら、恐れることはない。


相手がスーパーサラリーマンだろうと社長だろうと、思っている事はぶつけてみるべきだ。出来ないことをコミットメントさせられるくらいなら、そんな役割や目標を拒否って、感じた事をブチまけてしまえ。

想いが本当なら、紙に書いてあろうとなかろうと、ちゃんと受け止めてくれるはずだ。
逃げ出すための口実じゃなければ、アドバイスが貰えるだろう。
足りないところを指摘してくれるし、欠けてるところを補ってくれる。
(もっとも、普段から夢を語り合える環境にあれば、必要ないことであるが、悲しいかな現実は残酷だ。)

波乗りペンギンが何かするときは、
①思いを確認する
②引き際を確認する
というベタベタな関係者の意識合わせ(パーセプション)に時間を掛ける。

必要なら一年でも二年でも。

少なくとも周りは皆プロだ。
「やるぞ!」と決まれば仕事は速い。
この気持ちを熟成させないままスタートすると、グダグダになる。
責任回避や負担軽減という自己保身に走るからだ。
これを避けるには、
「これ以上は無理っ!」という限界ラインを、お互い知るしかない。
大体、無茶を言い出すのは、相手に対する優しさが欠如しているか、自分しか見えない状態になったときが多い。
だから、お互い追い詰められた時、逃げ出すのか諦めるのか、知っておくに越したことはない。
偉くなってからでは確認しにくいし・・・ね。

2007/06/12

情報共有指数、iSI

係数を導くには研究が必要なので、経験的な仮の係数を基に話を進めたい。

さて、広告も含めて、情報を他者と共有することの難しさを、プロの皆さんなら痛感しているはずだ。
何故なのか、「氷山の一角理論」とか「アノニマス・マーケティング」とか、適当に作っていたのだが、どうにも明快な切り口が見つからなくて波乗りペンギンも困っている。

今回も仮説だが、情報の共有は常に一部分だと考えてみる。
取締役会でもチーム会でも構わないが、仮に5人いたとしよう。
原則的に一対一の場合は、およそ50%が情報共有できる。半分は誤解という勝手な受け手の解釈だ。
これに、参加者の人数が影響を与えると考えてみる。
共有できた情報=(情報10)×{K(0.5)÷共有者数(発言者を除く、5-1)}
こんな式でいいだろうか。
5人の会議だと、1.25しか情報共有できない(伝わらない)ことになる。

どうだろう。
一時間やろうが、100回話そうが、常に一割程度。

これを話すだけでなく、資料を作成したり議事録を読み返すことで、濃度を上げることも考えられるとすれば、良い線いってないだろうか・・・。

広告の場合も似たり寄ったりだろう。
一日に受け取る広告の数は、意識していないが、相当な数になるはずだ。
この中で残るものは、ほぼ無い。
恐らく、共感係数を掛ける必要があるだろう。
新聞は0.8、雑誌は0.6、テレビは0.4、ネットは0.2とか・・・。

上司の言うことはおろか、親の言う事だって聞かないわけだから、広告も想像できるのではないか?

2007/06/11

ポケットに手を突っ込むような広告

手の内が見えない、と解きます。
 その心は、自信がない。 迷ったら広告なんかするもんじゃない。
 自分が良いと思えないものなど、人が良いと思う方がおかしい。 
 その上で、自分は気に入らなくても、人が気に入るかもしれない事を見つけるのが、マーケティングの正しい使い方であり、それを伝える手法が広告ではないかと、思うわけだ。

 タイトルに持ってきた「ポケットに手を突っ込む」というのは、波乗りペンギンが先輩に注意された動作の一つ。
  広告代理店の人間は、「ポケットに手を入れて歩く」もんじゃない、まんまチンピラだ。 
 という、広告業界が水商売であって、真っ当な仕事とは思われてなかった時代の話だ。 
もちろん、そんな昔の話じゃないけど・・・。 
むろん、ポケットに手を突っ込むのは虚勢の現れだし、自信がないから手の内を見せられないという行動心理学でも説明できることだが、経験的に先輩から指導をされていたものだ。

2007/06/10

新しい媒体の作り方

誰もが挑戦して、誰もが失敗していく。
データだけでは作りきれないのが媒体である。

雑誌も廃刊、テレビ番組なら打ち切り、は後を絶たない。
こんなにIT革命で情報がふんだんに使えて、分析技術や機材も飛躍的な進化を遂げているのに・・・だ。

笑っちゃうね。

そこには意思があってコンセプトがあるのに、ブランド化される媒体は少ない。
広告に頼って、日和見て、無くなっていく媒体ばかり。
何か大事なものを忘れているんじゃないかと、思うことしきり。

人々が知りたいのはスキャンダルなのか?
情報力を自慢したいのか?
なぜ、情報発信をしたがる・・・。
犯罪に手を染めてまで、有名になりたいのか。

事実は捏造されていいのか、面白ければ嘘でもいいのか、儲かれば正義なのか?

そんな手合いに広告を載せる広告主も広告主なら、売る広告会社やメディアレップも同罪である。
コンバージョンの低さは何なのか、一度考えてみれば判るはずだろう。
既に、視聴読者の鉄槌が下っている事に、目を背けてどうするのだ。

そして、消去法で作られていく媒体は、広告主だけを向いているんじゃないかい。

2007/06/06

ベストは尽くしました

意味が分かった方は、これから起きることを大目に見て頂戴。
器用な方じゃないんだから。
と、開き直ってみる。

今月から、いろんな団体から何かが出ます。
出たら、探してみて下さい。

ほら、ココにも波乗りペンギン。
インターネット広告もモバイル広告も、マーケティングもソリューションも、制作もメディアも。