2007/01/14

鶏の様なネット広告業界

3年前のことも覚えていないのか。
こんどは、モバイル広告で盛り上がろうと?

検索が当たり年だという。
モバイル版のgoogleを狙うって!?
ヤフーのメニュー階層が検索に変わったときと同じなのか?
モバイルだからといって同じことが起きるわけじゃないだろう。

確かに市場は大きくなるだろうが、インターネットの「それ」とは違う。

その短絡的で生活者を馬鹿にしたような貧困な発想、
場当たり的で意思のない広告もどきなど、
壊滅してしまうがいい!!

ちゅうわけで、
生活者を食い物にしようとするバカモノどもに、
コスト増という災いあれ!

クリック妨害しまくり、
クリックどこもだけの評価、
広告主満足ナンバーワンは生活者の不満足。

これだけ書いても、地雷踏むんだから・・・。


お節介にも補足だけしておこう。
PCインターネットとモバイルインターネットは、利用者の意識が違う。
同じ言葉でも解釈が違う。
だから、マス・PC・モバイルでナンバーワンになったメディアはない。
そして、異なるメディアの成功事例を持ち込めない。

論理的構造=メニュー階層式、
直感的構造=検索ダイレクト式、
しかし、感情的構造は口コミ式なのを忘れている。

どんなに立派なサイトも広告も、
人の口には戸は立て掛けられぬ。

2007/01/05

広告バブルを抑止せよ

インターネットだのモバイルだの、広告の頭に言葉をつけて、謀る者を排除せよ。
言葉の組み合わせでごまかす限り、中身はない。
広告そのものを変える者たちにこそ、変革への勇気が賞賛されるべきである。

自己矛盾を起こしていると!?
いや、広告人であるという基点は変えたつもりは毛頭ない。(毛根は少なくなっているが)
広告するとして、有効な方法やメディアが、インターネットやモバイルだと思っている。
決して、メディアミックスだのIMC、新聞媒体や雑誌媒体、などが広告ではない。
つまり、広告=マーケティング=広告媒体ではないのだ。

ましてや、「インターネット=広告」とか「モバイル=広告」なんて、あり得ない。

そもそも、広告があろうがなかろうが、媒体は存在し成立できる独立したものだ。
一方、広告は媒体なしには存在できない。
時に、広告は言葉や図表に置き換えられ、インフラ化した新聞やテレビに載るしかないのだ。
コピー、デザインが大事な理由がわかるだろうか?

もちろん、コピーやデザインは効果的に伝える芸術的技法であるため、当たり外れが激しい。
少なくとも、
・広告をしたい側、代理人 (広告主、広告会社の営業責任者)
・広告を作る責任者 (クリエイティブディレクター、アカウントプランナー)
・広告の企画を考える人 (マーケティングプランナー)
・広告の伝え方を計画する人 (メディアプランナー、コーディネイター)
という役割を担っているスペシャリストの意思統合をしなければ作品は出来ない。

検索ワードを入札して広告などとは片腹痛い。
何が言いたいんだろうか。
何を伝えたいんだろうか。
そんな視点のない広告など、ましてやリンク先のページなど、マニュアルどおりの効率を高めてはくれるだろう。
しかし、売れる構成に配置されたページを見て、生活者はどう受け止めるのだろうか。

肝心なことが抜けてないかね。
人の心があるかね。
寂しいね。

出来ることと、やっていいことは別。
出来るけど、やらないという選択をしないと、
出来ることだけしか、やらなくなるだろう。

そうなると、出来ることを工夫しようとはしないだろう。
たんに、スレスレを狙うわけだ・・・。グレーな広告代理店だったあの時代へ・・・。

2006/11/23

ガックリするとき

技術ありき、の商品やサービスを広告する時。
怪しげなビジネスだと分かるが、拒否できる理由がないとき。
広告が迷惑になったり、詐欺に利用されたとき

分厚い媒体資料を渡されたとき。
株で儲けた話を聞かされるとき。
対案や信念のない感想、つまり愚痴を聞くとき。
インターネット広告で失敗したことを、モバイル広告で繰り返すとき。

なにより、繰り返した後、誰も学んでいないことが分かったとき・・・。

2006/11/17

良い人材がいない・・・時は

先ず隗より始めよ。

手持ちの社員で会社の外に対して影響力のある社員を選ぶのだ。
選んだら、交際費予算を渡し、一切の業務から外して、
セミナーや交流会にだけ行くことを義務にして、放って置くといい。

すると、優秀な大物人材が寄ってきては定着していく。

今は開発力が落ちた企業の、ある人物から効いた話だが、
これがわらしべ長者だった。
好きな研究が出来たわけだから、自ずと類は友を呼んでメモリーが製品化されたのだ。
必要だったのは、席で自由にタバコを吸わせる事、服装や時間について何も言わないこと、それだけだったそうだ。
とうぜん、高額年俸の超エリート技術者ばかりであるが、
好きな研究が、良い環境で出来るなら、一週間泊まり込みでも研究を続けるわけだから、お尻を引っぱたかなくても死ぬまで働き続ける勢いだったらしい。
ちなみに、全館禁煙とともに消えたらしいが・・・。

あと、ちょっと不順な誘引策なので割愛する。
効果絶大だけに・・・。

2006/11/14

創業10年未満の未熟者集団へ

社員数で100人を突破しても、資本金が100億円あっても、時間だけは残酷なほど平等である。
最近、企業の潜在力とは、どれだけ社員に自由な時間を与えているのか、だと思える。
もちろん、ヒマとかラクという意味じゃなくて。

・ふと、誰とでも立ち話が出来る。
・いつでも分からないことを聞ける人がいる。
・誰でも捕まる時間帯がある。
・思い付きを話せる。

そんな条件を満たすと、会社は自己免疫機能を発揮するんじゃないだろうか。
組織の自律神経が麻痺していると思ったら、考えてみては如何だろう。
「ワイガヤ」とか「20%ルール」とかキーワードや事例はある。

逆の例示をした方が判り易いかも知れない。

いわゆる組織の縦割りは、誰とでも話すことをさせない。
部署間の思惑とか、メンツとかで、情報の流れが悪くなる。
上司は知らないこと、分からないことを指摘されるのを恐れ、部下の統制をするからだ。
 これは、成果主義の評価だと如実に出てくる。
何しろ、上司が責任を取るなんて太っ腹なことをしたら、間違いなく上司がお払い箱になるからだ。
年功序列とは違った害がある。(まぁ、年功序列を体験したことのある人は少ないと思うが・・・)
 もし、改善したいのなら、役員自身が部下を評価する視点を変えることだろう。
それと、つまらない管理職間の突付き合いを、プラスに転化させる様に仕向けることだ。
(批判や非難をした人を兼務担当にして、当事者にしちゃうのさっ!)
相手の立場になるということを、文字通り実践することが肝要だろう。
 こんなことをしなくても良いとしたら、普段からコミュニケーションが取れて、批判や非難をしなくても事態は改善しているはずだ。
ふと話せる環境にないことが問題ではないだろうか。

どんな会社でも過去や歴史、独自の社内ルールがあるはずだ。
しかし、思いのほか社員は知らないことばかりのはずだ。
人事担当者に調べてもらうといい。
馴染めずに短期間で辞めていったり、社内の不平不満が渦巻いていたり、心の病が増えていないだろうか。
 これは、本来なら解消されるべき日々の業務に関する問題が、何も解決されていないからだ。解決しようにも、相談して良い相手なんて先輩や同僚のほかに誰がいるだろうか。
しかも、入社(または異動)間もない人にとって、異空間なのである。
聞こうにも上司は席にいないし、同僚は追い詰められて目が血走っているし、分からないことが分かるまで教えて貰おうとすれば使えないヤツだと敬遠されてしまったりする。
最初から全てを分かっている人なんて、金で雇えると思う方がどうかしてないだろうか。
 波乗りペンギンの若いころは、各セクションにご老体がいらっしゃって、根気強く教えてくれたもんだ。広告に関する歴史や事件など、もう一つ深い世界を学んだのもこの時だ。(無論、書けないことばかりだ。)

大事な話は、毎日、現場で起きている中の出来事だ。
タイムリーに報告しようにも、相談しようにも、相手が席にいなければ、伝えきれない。
波乗りペンギンが若かったころは、部長は朝必ず新聞を広げてお茶を飲んでいた。
昼飯は食べさせてくれた。
ひと息ついた時は、近くの喫茶店でコーヒーを飲ませてくれた。
夜は行きつけの飲み屋で説教してくれた。
一人で悩みを抱える暇なんてなかったのだ。
しかも、思い付いたら何か話さないと思い出話を何回も聞かされる羽目になる。
必死でネタを探したもんだ。

ちゅうことで、どうよ。
組織や人材で悩んでいるベンチャー企業のシャチョーさん。
まずは、管理職をヒマにしてあげよう。
余裕があるなら、経験のある社員を各部署に一人置いて、相談窓口にしてあげよう。
それだけで、次のコストが劇的に改善する。
・悩んでいる時間が削減できる。
・離職率が低くなるので研修コストが下がる。
・結果、リクルーティング費用が減る。
そして、活気のある前向きな組織が手に入るのさ。

2006/11/09

凡人の特権

このネット全盛の時代、アナログの時と比べれば、自分で出来ることが沢山ある。
しかし、やってみると睡眠時間を削って学ぶという事前段階が避けられない。

たぶん、優秀な人間には出来ない、凡人の特権でもある。

基本的に、自分で理解すれば良いだけなので、一見簡単だと思うかもしれない。
ところが、ネットの世界はそれを簡単にさせてくれない。
次々と新しい技術が目の前を眩ませるのだ。
その技術は、困ったことに、利用する側からプロセスが分からない。

こうして、インターネットに接続して書き込むということは、サーバ側に書き込みを記録してくれるシステムがあるワケだ。書き込むにもインフラ側で通信システムがあって、こっちにもパソコンのOSがあって、成り立っている。
もちろん、文字コードやプロトコルという国際的に標準化されているソフトのインフラもある。
知らなくて良い事だが、知らなければ理解は出来ない。
そもそも、なぜ・・・という疑問に思わなければ、前提でアウトだケド・・・。

それで、実は全部を教えてくれるものはないので、自分で積み上げる作業が必要になる。
最新であるほど、情報は少ない。
断片的なものしかないので、これをパズルの様に組み合わせて、自分なりに学ぶしかない。
サービスを提供している側も、実は教えるほどのことはなかったりするケースも多い。
大体は、一人のキーマンが動かしているわけで、その人に訊かないと「どうやって動いているのか」仕組みが分からないなんて、オチはよくある。
原因は、誰も疑問に思って質問しないからなんだけど、それだけ優秀な人間ばかりなんだろう。

ということで、難しいことが出来ない分、単純な発想で遠回りするわけで、これが学びの実態。

もちろん、メリットはある。
やったことは仕事じゃなくても経験なので、具体的な話だけは遅れをとらなくて済むのである。
web2.0とかマッシュアップは分からなくても、皆で一つの文章を修正掛けていくのは、ワードの校正支援機能を使わなくても、具体的に例示できるのである。

2006/11/05

温故知新

過去を振り返ることは決して無駄なことではない。
体系化された知識に基づく過去への回帰は、将来のビジネスへの扉になるはずだ。
もし、波乗りペンギンの言うことが信じられないなら、優れた(!?)検索エンジンを使って、過去を探れば良い。
どれもこれも、新しいビジネスモデルだの新しい発想だのとリリースされながら、殆ど2006年に残っていないだろう。一割にも満たないことが確認できたら、君の発想が貧困であることを前提に、全てを受入れるつもりで先人達に学ぶが良い。
たとえ、デジタルだろうがインターネットだろうがモバイルであろうが、本質を見極めれば大差ないことを肝に銘じるのだ。
忘れるな、我々人間は種の保存の原則には逆らえない。社会的動物であることに変わりない。一人で生きられる人間は居ない。引き篭もりですら、だ。

人類が繁栄した歴史に学べ、文明の発達した過程をなぞれ、将来への希望は社会にある。
どんなに時価総額を追いかけても、富豪ですら、幸福を満たすのは金ではないことを思い知るが良い。
サービスとは、買えないものこそ最高のモノなのだ。
広告もまた、然りである。