2006/11/05

温故知新

過去を振り返ることは決して無駄なことではない。
体系化された知識に基づく過去への回帰は、将来のビジネスへの扉になるはずだ。
もし、波乗りペンギンの言うことが信じられないなら、優れた(!?)検索エンジンを使って、過去を探れば良い。
どれもこれも、新しいビジネスモデルだの新しい発想だのとリリースされながら、殆ど2006年に残っていないだろう。一割にも満たないことが確認できたら、君の発想が貧困であることを前提に、全てを受入れるつもりで先人達に学ぶが良い。
たとえ、デジタルだろうがインターネットだろうがモバイルであろうが、本質を見極めれば大差ないことを肝に銘じるのだ。
忘れるな、我々人間は種の保存の原則には逆らえない。社会的動物であることに変わりない。一人で生きられる人間は居ない。引き篭もりですら、だ。

人類が繁栄した歴史に学べ、文明の発達した過程をなぞれ、将来への希望は社会にある。
どんなに時価総額を追いかけても、富豪ですら、幸福を満たすのは金ではないことを思い知るが良い。
サービスとは、買えないものこそ最高のモノなのだ。
広告もまた、然りである。

2006/10/29

仮説無しの調査

デスク・トップ・リサーチ(DTR)が当たり前になった昨今、その手軽さゆえに意味のない調査(事前調査、計画段階での調査という意味に限定)が行われている。
見極める点は、仮説があるかどうか、そこでしかない。

まじめに事業企画書を書く場合、そのデータは仮説があるものでなければ、事業は行き当たりばったりの展開になるだろう。
もちろん、面白ければ金を出してくれるエンジェルはいる。
寄せ集めのデータを張り合わせたところで、問題になることは、その場ではないだろう。

では、なぜ仮説が必要なのかという部分だが、PLAN・DO・SEEという基本形を考えて欲しい。
計画・実行・検証のサイクルである。
しかし、目的や目標が、どの程度正しいのかという問題は、やってみないと分からない。
そう、検証されるまで。

その検証が調査であるならば、計画段階での目標から成果に至るまでのプロセスが仮定されていなければ、検証できるものはないはずだ。

つまり、実行されたという仮定の下に検証することで、計画段階での誤差を少なくするわけだ。
調査の意味は、ココにあると思う。

ちなみに、実行された結果による検証は、事例でしかない。
(事例調査は、結果と原因の因果関係を知るために行う収集分析である。この限りは。)

2006/10/22

IT用語辞典の広告用語で・・・

近頃のインターネット広告関係者は、広告用語辞典(広告関係の書籍、団体によるもの)で調べずにIT用語辞典(技術系の書籍、ニュースサイトなど)で、広告用語を調べるのである。
それも、新人さんや異業種から来たんだったら、許される勘違いである。
どれが広告で、どれがインターネットか、それが分かっていないんだから・・・。

しかし、このネット広告業界で数年働いていたり、広告会社で働いていたはずの人まで、そういう調べ方や理解をしているのは、かなり方向がずれている。
もちろん、そんな指摘をされることは、あるわけがないから仕方ない。

しかし、インターネットだからといって、現実世界の広告と違うものであっていいのだろうか?
これだと、質問の意味が分からないか。

テレビ広告とインターネット広告では、人間以外の何か、に対して広告をしているのだろうか。
例えば、人工知能を持ったプログラムとか、感情を持った自立型ロボットとか、そんなもんだ。
別に、サルでも犬でも構わない。ガミラス星人でも、メトロン星人、バルタン星人でもいいぞ。
今のところ、人が相手であることに違いはないはずだ。

だったら、インターネットだからといって広告が違ったものになるのはおかしいと思わないのだろうか。 ( 勿論、表現方法や手法など物理的な問題は違って当然 )

ちゅうことだが、読まれた皆さんの考えはどうだろう。
マーケティングという上位概念を理解している方なら、分かってくれると思う。
もし、言いたいことが伝わったなら、嬉しい。

2006/10/17

成果主義が歪ませた広告サービスの皮肉

インタラクティブ広告業界が歪んでしまった最大の要因は何か?
それは安易な数値評価に走った成果主義に他ならない。
人を機械扱いにしたのだ。
チャップリンのモダンタイムスは、その意味でも傑作だろう。
近代化と同じことが、現代、インターネット革命でも起きているのだ。

サービスでもある広告は、広告主や生活者も含んだ社会へのサービスを通じて、コミッションなどの対価を得られるのであって、機械的なコンバージョンによる成果報酬を意味するものではない。
広告メディアビジネスは編集・編成による媒体社の価値フィルターによって、区別された広告という情報が生活者に届けられるからこそ意味があり、価値がある。
情報を媒介するだけでは、付加価値を生まない。

検索サイトもまたメディアであるとすれば、いくつかの条件が満たされる必要があるだろう。
・検索結果は編集行為を自動的に行う仕組みの一部であり、どう情報を区別し提供するかという設計思想を編集意思とみなせる。
・編集された検索結果に対して、媒体社として掲載する広告を区別していること。
今のところは以上の二つだ。

ちなみに、グーグルは結果的に条件を満たしている。
利用者本位のロジックが、返って検索結果と広告の相性を良くしてしまったのが皮肉な結果だ。
オッカムのかみそり、だといったら見当違いだろうか。

非常に複雑な広告商品をインターネット広告は広告主や広告会社に生み出したが、利用する側にとっては単純なことだったのかもしれない。
入力した検索語に合わない広告は意味がない。
もちろん、文字通りの意味で・・・だ。

2006/10/15

実体験のない意見など評論以下

説得力のない話が現実の会話でも横行しているのに閉口する。
あなたが有名な人物だろうと、偉い役職者だろうと、そんなことは微塵の価値もない。
やってもないことを、想像だけで判断するなんて、凡人には無理だ。

この10年、インターネットだのモバイルだの、web2.0だの言葉は沢山踊ったが、
・自分でホームページは作ったことがあるか?
・メールマガジンは?
・掲示板は?
・ブログは?
・・・etc.

そんなに出来るわけがないだろう。
やらないと分からないんだったら、世の中の殆どは意味のないビジネスになる。
だったら、経験者の話を聞けっ!
その発想がないから、顧客視点なんて妄想になるんだ。

とはいえ、波乗りペンギンは自分でやってみないと気が済まないので、
・家に無駄でもネットワーク構築(SOHOレベルだが)をしてみる。
・独自ドメインでサイトを作ってみる。
・htmlタグを手打ちしながら、ページを作ってみる。
・自分でフリーのCMSやblogやwikiをインストールからやってみる。
ワケです。

webサイトのプロデューサーをやってみると分かるが、技術的にある程度の知識や実践がないと、スタッフは付いて来ないし作業は滞りがちになる。
大体、上手くいかないのはプロデューサやディレクターに経験がない場合だ。
大規模なシステムも、基本は、同じ。
DB使っていれば、項目をひとつ増やせば、何が起こるか想像が出来る。
中途半端な知識で口出ししてはいけないことも覚えるし、やりたくない口実でスタッフが持ち出してくる技術的困難な話も鼻が効くようになる。

知らないことは知っている人にわかるまで教えてもらうべきだし、知らないことは知らないと認めて知っている人の話に耳を傾けるべきだろう。
知らないままでいる事の方が、波乗りペンギンは不幸だと思う。

2006/10/12

YouTubeにテレビ発想を持ち込んでは駄目だ

あまりにくだらないので、放置していたのだが、
インターネットによるテレビ崩壊論やYouTube絶賛の波に、
広告の問題が大きくなってきたので、一言書くべきと判断した次第。

まず、「テレビCM崩壊」は自腹で買って読んだ。
細かい指摘は省くが、商業的なタイトルと連動した第一部を除き、
米国事情として読むのは悪くない。
ただ、どうも深さが足りない。
本当に著者が、オグリヴィの著書を読んでいるのなら、
白抜きの文字を使うのは避けていたはずだが・・・?
たぶん、その程度なのだろう。

YouTubeに関しては、悪くない指摘をした記事が出てきた。
GoogleのYouTube買収に見る「金はあっても考えなし」の愚
読む価値はある。
生活者を消費者と考えるテレビ的な、広告対象として考えれば、
さもありなん、といった考え方で一理ある。
だが、可処分所得の多寡で消費者をさげすむ様では
企業のビジネスが成り立たなくなっている。

さ、そこで、オグリヴィの名言を贈ろう。
重要なのは「どう」言うかより、「何を」言うかだ

媒体がインターネットであろうとテレビであろうと、
「何を」伝えるかが常に問題であって、
それが「どう」伝わるのかは問題として遥かに小さい。

生活者に見られないテレビCMなど、インターネットを使ったところで
結果、見られないものに変わりはない。
見てもらうために、どうするのか?
それを無理やり見せるのは広告ではない。
忘れるな、相手は人間だ。
適切なメッセージを、「何を」が明確でなければ、
それは広告ではなく落書きと変わらない。

成功したキャンペーンはメディアを選ばない。

2006/10/03

アフィリエイト広告は誤用、どのみち収益圧迫

一部の家電系ECサイトを運営する会社は気が付き始めたらしい。
アマゾンのアフィリエイト・プログラムは広告ではないので機能しビジネスに貢献しているが、これを広告だと力説するベンチャー企業に疑問を抱かなかった利用企業も、「こんなはずでは・・・」という疑念を抱き始めているらしい。(日経MJ 20061002の記事にインスパイアされたものです。)

簡単に言えば、成果報酬型とは売れたら「必ず支払う」性質の経費が掛かってくる。
一方、広告は枠という時間または場所を買うわけで、売れようが売れまいが初期投資として管理が出来る。

売れなければ払わなくていい成果報酬型の裏返しだが、売れなければ商売にはならない。
結局、売れなければ困るのだ。
そうすると、売るために利益を圧迫して売ることになる。
この時点で、成果報酬も何もなくなってしまう。

だから、成果に頼らない安定販売が前提にないと厳しくなってしまうのである。

すると、顧客の囲い込みでポイントをつけたり、特売セールをしてみたりする。
オイオイ、やっぱり収益圧迫かよっ・・・て、負のスパイラル。

抜け出すには、皮肉なことに金額以外のベネフィットが必要になってくる。
いわゆる、ブランドってヤツ。
安心のアフターサービスとか、保証制度を前面に出すことに。
これは、成果報酬では顧客に届かないし、届けられない。
商品そのものじゃなくて付帯サービスですから。

ならば、インプレッション型の広告を出せばいいのかというと、これまた違う。
広告だけでブランドは出来ないから。
過去に巨額の広告を使った、今は名前も思い出されないというネットベンチャーが沢山あったけど、何か教訓は得られないものだろうか。

どんな老舗ブランドも、一瞬にして崩壊したのをみんな見てるよね。
広告だけでブランドが出来るなら、危なくなった会社は広告をバンバン打てば復活することになるけど、現実は逆。

あくまでも広告はマーケティングの一部でしかなくて、必死で売り込まなくてもいいようにする、のが役割だと言い切ってみるのは開き直り・・・か。