2005/07/17

広告効果が検証出来ないワケ

古くて新しい課題。それが、「広告効果の検証」というヤツです。
研究論文もあるし、大規模なキャンペーンには、検証レポートが存在しているのは確かです。

しかし、未知→認知→理解→確信→行動の5つの段階のコミュニケーション・スペクトラムで、分析されているケースが多いはず。
1.キャンペーン前の知名率 → キャンペーン後の知名率
2.キャンペーン前の認知率 → キャンペーン後の認知率
3.キャンペーン前の理解率 → キャンペーン後の理解率
4.キャンペーン前の購入率 → キャンペーン後の購入率
これが、ターゲット別にグラフ化される。 (社名、ブランド名、キャンペーン名など)
性、年代、来店頻度、家族形態、住居携帯などなど。
ざっくり、3千万円はかかるでしょうね。

毎回思うんだけど、購入前に決めていた商品と違ったものを買う人が居るんですね。
何でって聞くと、「何となく」「かわいかったから」「安かったから」とインタビュー結果は並ぶ。
リピーターには、「良かったから再購入」で顧客になる人と、「どれでも一緒」だから安いものを買うわって消費者に分かれる。
良かった人はさらに質問に受け応えてもらう。
何が気に入ったのか、何が良かったのか・・・。

おまけの風船が欲し買ったから、1本増量だったら、マネキンの舌技でイカされたから。
買った理由はデータにならない事の方が多い。
が、これをレポートにして、検証報告書が出来るわけです。

なんとなく、顧客設定における継ぎ接ぎコンセプトが見て取れますね。
全層で数値は20%以上のアップ。

特に「安いから」は400%も伸びましたよ。
安くすると売れると言うことは、価格に対応するだけの商品価値不在が見えますね。
いや、問題点は早急に改善される事をお薦めしますよ。

ま、次があれば・・・ですけど。

2005/07/06

認知の限界

広告業界誌や専門書に出てくる「認知率」。
実はどんなに知られている社名やブランド名でも、100%はない。
また、認知率が90%を越えると、それ以上あげるのに大変な労力を必要とすることが体験的に知られている。

何故?

ネット系広告実務者の間でも、疑問に思った人は稀なはず。
でも、CTRだけで広告が売れ続けるほど甘いビジネス界じゃ、ござんせん。
早晩、行き詰ってインプレッション・・・認知の獲得へと話はシフトするわけでした。

よくよく発表資料をひっくり返すと、「知っている」「聞いたことがある」とか「見た」「見たことがある」というのを一括して、「認知されている」としてるのだけど、気が付いてる?

これは、インターネット広告業界で話題となった「波乗りペンギン」という匿名サイトについてのお尋ねです。
Q.あなたは「波乗りペンギン」という言葉を聞いた事がありますか?
A.聞いた事がある、聞いた気がする、聞いた事がない、分らない
Q。あなたは波乗りペンギンを見たことがありますか?
A.見た、見た気がする、見てない、分らない


いわゆる純粋想起ベースのリサーチですね。

Q.あなたは波乗りペンギンを知ってますか?
A.説明できる、理解している、知っている、ちょっと聞いた、知らない、分らない
Q。あなたは波乗りペンギンを見たことがありますか?
A.容姿を説明できる、目に焼きついている、見た、チラッと見た、見てない、分らない


はてはて、後半の設問は無茶苦茶です。
認知と理解と、ごたまぜじゃないっすか。

おまけに、人には忘却する機能がありまして、覚えていられないわけです。 しかも、回答のすべては主観的な個人の問題です。 人間の思考は機械に置き換えられない現状からすれば、 どんなにシミュレーションしたって脳内でのニューロン強化は見られませんし、 固定化できない問題です。

簡単に言うと、「私の思うリンゴ」と「あなたの思うリンゴ」は、同じリンゴでありながら、産地や色、甘酸っぱさ、瑞々しさが全然ずれてイメージされてしまいます。 これは、良し悪しの問題ではなくて、人間の多様性が持つ進化への鍵とも言えましょう。 この多様性の鍵は、必ず異なった文明に属するの敷物の上に置かれるわけです。 では、この鍵がカギとして利用してもらえるでしょうか。

かなりの努力が必要でしょうけど、錠前と一緒において、実演すると理解してもらいやすいでしょうね。
でも、鍵の掛け方開け方には、鍵が錠前を開ける道具であること認知しなければなりません。
穴に差し込む、回転する、錠前がロックされる。 と進められるわけですが、3歳児はやり方は覚えても、理解までには至りません。 よって、鍵を「鼻の穴」「コンセント」「FDDにいれる」など縦横無尽の行動に至るわけですね。

話を元に戻しましょうか。

鍵を知っているか? というのだと、受け手側に、解釈の幅がでるです。 ヒロシです・・・。
物体としての鍵の名称なのか、比喩的な意味での鍵なのか、扉を開けることを意味しているのか、コンテクストによっても異なるハズです。

でも、多様な解釈を許す質問をすると、

言葉を知っているのと、言葉の意味を知っているのでは、大きな違いですから、 選択肢が適切でなければ、人は最も近いものを選ぶです。 DTRだと、選ばないとエラーが出るです。これでは、誘導尋問と何が違うのか、調査と言えるのか疑問でしょう。

さらに、この調査を実施した直後にサンプルは変化してしまうのです。 プロシューマーと言われる調査ズレしている生活者の誕生です。

彼らは、一里先からでも企業のプロモーションを嗅ぎ分ける情報力を身に付けている。その場しのぎのキャンペーンで、商品が売れていないことを、サービスに人気のないことを、感じてしまうニュータイプなワケです。

米国ではYジェネレーションと言われてる、アレです。
日本だと2チャンネラーがモデルイメージかな。

2005/06/13

本質を見極める難しさ

この十年間、インターネット広告業界で誰も問わない問題がある。
それは、「バナー広告のCTRが5年の内に100分の一以下になったのは何故か」という問題である。
これを解明、論理的な説明が行えれば、大きな進歩である。
学術会では評価されないだろうが、実務者にとっては次なる飛躍への大きな一歩になろう。

もちろん、この問題を言葉どおりに解釈し、解明しようとしても無駄である。
前提自体が、間違っている可能性があるからだ。

もし、私が宝くじにでも当選したら、全額を懸賞金として公募したいと思っている。
冗談だと思っているでしょ?
別に、宝くじに当たらなくても、方法はあるわけでして・・・。

ということで、興味のある方は研究しておいて下さい。
広告関係の本やサイトをチェックしておいて頂ければ、幸いです。
活動が地味なんで、気が付かないでしょうけど。

2005/05/22

環境を整備する

批判や批評だけでは何も進まない。
起きた事を振り返っても、将来への展望は出てこない。

ならば、誰かが何処かであるべき姿と未来を提示する必要がある。
それが、個人で行われている間は、共感する個人が集うだけだろう。
しかし、一人が二人になり、百人集まれば何かが起こせるはず。

最近話題の「バズ」「バイラル」なるマーケティング手法は、
心強い後押しである。
ひとつ、そこの心ある広告業界関係者の方。

広告とは何か?
金のためとはいえ、最後の一線はないのか?
身近な人と、ちょっとだけ話してみて下さい。
それだけで良いんです。それだけで。

2005/03/03

広告論までの道のり

出発は、一応、クリエイターとしての「自己表現」から始まって、20年経ってマーケティングまで辿り着いた。
しかし、その先に見えたのは果て無き世界。
関わり続けたネット広告とモバイル広告であるが、こいつを既存メディアと統合する最新版IMCを捻り出そうというプロジェクトはあちこちで進行中である。
結果的に傍観とは行かずに、巻き込まれたんだけど、グズグズになっとります・・・。

その原因はイキナリ知識もないのに広告論を作ろうというところである。
誰にも理解してもらえなくて腐っているのであるが、広告は小さな部分である。
学問的には、「哲学」>「社会学」>「経済学」>「経営学」>「マーケティング学」>「広告学」という感じなんだけど、やはりシンクタンク系広告人にしか通用しない。
また、「経営」>「マーケティング」>「コミュニケーション」>「プロモーション」>「アドバタイジング」なら通じるかというと、これまた難しいらしい。
「ネット広告中心主義」のようで、体質的に受け付けないらしい。(爆)
だから当然、「編集」と「広告」、「宣伝」と「広報」、「認知」と「理解」、「意向」と「決定」、「媒体」と「視聴者」「読者」、「放送」と「通信」、「真実」と「事実」、「クリエイティブ」と「マーケティング」、「メディア」と「ツール」などと対決させようものなら、ネット系のメンバーは誰も喋りませんて・・・。
もう、年寄りの独壇場。

やはり、掲示板で三行未満の書き込みは出来ても、概念的な議論で一分以上話すコンテンツは持ち合わせないようだ。
モバイルが爆発的に普及した背景を考えると笑えないのだが、現実は厳しい。
メールで長文、詳細かつ執拗なツッコミはしても、面と向かうと純朴で無口な人が多い。
それで、議論にもならず会議は重ねられていくと。

で、どーするのかって!?
そりゃぁ、然るべき方々に、然るべき根回しをして、然るべき行動を起こす。あぁ、小泉総理的・・・。

もぅ、準備には取り掛かってますよ。
ただ、サイトみたいにチャチャッと作れませんから・・・、残念。
鶴は千年、亀は万年斬り。

2005/02/04

広告価値は幻想なのか

最近のニュースで「電通系CCI、ネット広告に競売制??料金、比較しやすく。(2005/01/31)」というのがあった。
言ってしまうとオークションである。ここにメディアストラテジーの不在を宣言してしまったインターネットがある。数値化された評価指標は、前提が正しければ効率的なメディアバイイングを実現するだろう。しかし、定義も根拠もない状態で実施すれば、何をかいわんやである。
テレビ広告のスポット価格・・・視聴率ベースの評価だって、崩壊してしまったじゃないか。
対案として協会が打ち出したのは「番組の質」を、定性的な評価指標として採用する方向になったが、進捗は見えない。
何も学んでいないようだ。

広告業界で、昨今流行のブランディングをネットやモバイルで叫ぶ輩がいるけど、何を持ってブランディングに貢献できるメディアだと言うのだろうか。
そこにクリエイティブはあるのか!?
ビジョンは?ストラテジーは?
バナーを見た消費者が「何を変える」というのか。
全面広告でのクレーム、クリック率の低下、掲載基準不在による広告の信頼低下・・・。

もちろん、業界関係者には「寝言言ってる」みたいな、他人事のような反応しかないのは認めよう。
しかし、 もはや安定も安泰もない社会だ。
寝言が寝言のままとは限らない。

2004/12/10

広告主と会社会社と媒体社の広告効果

マーケティング的に広告のポジションは
4Pのプロモーションで一つの役割に過ぎない。

しかし、その効果を巡って意識の溝は深まるばかりである。

広告主側の代表として、こんな記事がある。
ポイントは「媒体効果の横並び評価」である。

広告会社とメディアの代表としては、こんな記事がある。
ポイントは、「説明責任は分かるが、できるとは言えない」である。

それぞれ、文章全体としては同じ方向性であるが、
平行線である。
マーケティング的な話は出てくるが、
コミュニケーションに逃げてみたり、商品の市場価値はない。
話題の商品が売れている商品ではないし、
売れない商品が広告で売れるとは限らない。
どこか、「定義」「基準」が欠落してしまっている。

百年経っても実は変わっていないが、
この不毛な論議に終止符を打つ、
新しいアプローチをもう一つ創出することぐらい
始めてみても罪にはならないだろう。

現代、生活者は偏在する掴み所のないイメージである。
これを「リーチ」させようとか「フリークエンシー」を稼ごうとか、
無限の資金があっても不可能になっている。
エントロピーの法則しかり、減衰し散逸するのが時間軸の必然。
だからこそ、過去の生活者データによる推測となる効果指標は無意味だ。
多元的な調査軸を無限に組み合わせるだけのデータマイニングである。

それで、個人としては、「アノニマスマーケティング」を概念だけ提唱している。
(今そこにいる顧客を情報で囲むことが大事だという考えだけだけど・・・。)
アノニマスである生活者を特定し、
1対1の関係性を結ばなければ、
企業は利潤を得られない。
利潤は、継続性による顧客評価であり、対価である。
アノニマスマーケティングは、リアルとネットを境目なく、
顧客化する考え方なんだけど、未だ思案中。