2014/01/17

Webブラウズは死んだ・・・のか?

「PCの死」と「平等なウェブ世界の終焉
http://wired.jp/2014/01/16/death-pc-also-mean-end-web/

この話はスマホの登場で、アプリというプログラムの中にコミュニケーションが閉じ込められているという話から出ている。
いや、正しくはない。
PCWebだってJavaがあったし、UIで言えばインターフェースのフラッシュだって、htmlではないという事と閉じられている(プラグインが無ければ閲覧できないという事ね)と考えられる。(これはアンティの中川CEOの受け売りだ・・・あはは。)

html5でフラッシュのように表現することも可能になった(ゲームや動画といったもの)わけだが、一方で、Facebookがネイティブアプリにしなかったことをメチャ後悔したという話は技術的な問題だと思うんだよ。
ネイティブアプリかWebアプリかという二極の話ではないと思う。

むろん、googleがクローリングできないとかあるけど、アプリ内の広告配信は出来るわけだし、サーバーサイドの処理である点は最終的に変わっていない。
インターネットというプラットフォームで動いている以上、本質的なところや原理原則は変わらない。ネットを手に入れた人類は、後戻りはできない。
表層的な処理や行動は違って見えても、人が関わっている事には何の影響もないし、時間や金を使わせているツールであることも変わっていない。
ちょっとばかり、回路の配線が変わった程度のもんだ。

ただ、ポータルは死んだと言われ検索(もはやグーグルしかないと言える)だというが、ポータルの立場がグーグルの検索ページになっただけであって、Web行動の起点が無くなっているわけではない。
ネイティブアプリの場合は、端末のホームページが起点ではあるが、アプリをDLするにはアップルならiTunesApp storeだしAndroidならグーグルプレイだ。
行動起点をどう考えるかでも見方はエロエロ、いや、色々と変わってくる。ブラウザーは使われなくなるかもしれないが、代わりの物が別の形でカバーするだけだ。

でだ、iPhoneユーザーのブラウジングは、Androidユーザーよりもはるかに多かったという事があるんだが、これはどうしてかを考えると面白い。
なお、普及端末の割に・・・という話だよ。

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