2006/04/22

脱インターネット

そろそろ、書いといた方が良い気がしましたので、サラッと流しておきましょう。

加速的に増えていく情報を検索によって探し出すことも、探した後に判断する能力不足も、人間の知覚処理能力の限界値を超えてしまった昨今。
いわゆる「勘」という感覚的な、ある意味でのルネッサンスが始まりそうです。

脱線気味に始めます。

BB化や超高速処理が可能なゲーム機によって、それがポリゴンであることを認識する機会も必要性もなくなっています。いま、このコンテンツを見ている人が、「1」と「0」で構成されていることは分からないでしょう。悲しいかな、マシン語を見ている波乗りペンギンは知覚した旧世代です。
しかし、生まれた時から携帯電話はメール端末でありツールでしかない子供たちには、最早、人間は4つの塩基によって成り立っているDNAの所産であることを語るかのごとく、無意味な話になっています。

逆に言うと、全体像や基本原理の理解から考える「大人」は、子供たちにとって理解不能な生き物になっているわけです。
それが電話だったのか、真空管を基にした電子計算機だったのか、そんなことは歴史でしかないわけです。そして、その歴史は必要とされていません。
精々、ウンチク程度でしょう。

さて、ここから本題に戻りましょう。

旧世代は理解することが必要だったわけですが、今後は理解は必要としなくなります。
感覚的な処理によってショートカットされるでしょう。
それが必要な情報かどうかは、感覚として処理されます。

たとえば、
滑らかな曲面に髪の毛一本の傷を、指先で感じるようなものです。
これを視覚的に分析した上で認識すると大変な処理なんですけどね。

説明が上手くありませんが、数年後に「コレ」と言えるようになっていると思います。

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